擬態は自分を守る術

今回は、「相手の『普通』に無理になじもうとしなくていい! 『自分らしさからかう人』医師が語る上手な接し方」という記事をご紹介します。

発達にでこぼこがある子にとって、”普通”は憧れに近いものがあります。

みんなと同じ”普通”でいたいから、自分だけ浮きたくないから、本来の自分を押し殺して”普通”に擬態する。

そんな本人に周囲は、「無理しなくて良いんだよ、そのままのあなたで良いんだよ」と声を掛けがちですが、本人が望んでいるのはそんな言葉ではなかったりします。

本人は、本来の自分を周囲が受け入れてくれないと痛いほどに分かり切っているから、自分を守るために無理をしてでも”普通”に擬態しているのです。受け入れてくれる環境なら、そもそも擬態なんてしていません。

そんな本人に本来の自分を出せと言うことが、どれだけ的外れか分かるかと思いますが、ではどう声を掛ければ良いのでしょう。

まずは、本人の努力を労ってください。

“普通”に擬態するために、本人は外の世界でもの凄く頑張っています。かなりの無理をしています。

身も心もヘトヘトになって帰って来るのですから、おうちでくらいは本来の自分でいさせてあげてください。甘やかしてください。

生活面でも出来るようにならなければいけない事がたくさんあるのは重々分かっていますが、それらは最低限でもヨシとしてあげてください。

“普通”に擬態する事をオススメしているわけではありません。当然ながら、しなくて済むならしない方が本人の為です。

でも現状では、そうもいかないと本人が判断しているのです。その判断は尊重してあげてください。

もちろん、限界を超えてしまいそうな時は全力で止めてください。

自分を守る為の擬態で心身を壊してしまっては本末転倒です。

無理している本人を見ていると擬態するなと言いたくなると思いますが、そこをぐっと堪えて、無理はしないで欲しいと思っていること、限界を超えそうだと思ったら全力で止めることだけを伝えてください。

そうやって、そばで見守ってくれている存在がいることは、本人にとっても心強いのではないかなと思います。

年齢を重ねていけば、周囲とどう付き合っていけば良いのか学習していきますし、擬態も上手くなって無理しなくても良くなったりします。

でも、どう頑張っても周囲と馴染めない時は環境を変える事を考えてくださいね。

世界は広いです。

本人が本人らしくいられる場所を一緒に探してあげてください。

もし、そんな場所が見つからない時は私たちの定例会にご参加ください。絶対に拒絶なんかしないと声を大にして言える私たちがお待ちしております。

認識のズレは小さいうちに

今回は、「子どもが否定されたと感じる「一発アウト」の言葉  「聞いてあげている」つもりでも口を挟んでいる」という記事をご紹介します。

他人に迷惑を掛けたり、多くの人が不快だと感じる行動を動画に撮り、それをSNSなどに投稿して大きな社会問題に発展する。

最近、この手のニュースばかり見聞きしているような気がしますが、数年前にも「バイトテロ」という今回と似たような社会問題が起こっています。

SNSというツールの発達により、問題行動が多くの人の目に晒されやすくなった現代。

本人からすれば、ちょっとしたイタズラ心だったのだろうと思いますが、SNSは全世界の誰もが見れる掲示板のようなもの。

鍵をかけて全世界からは見えないようにしていたとしても、鍵の中が見れる人が全世界から見える自分の掲示板に晒せば鍵の意味はあってないようなものです。

一度晒されれば、本人の名前や学校、自宅住所まで特定されてしまうことも多く、最終的には逮捕されてしまうことも少なくありません。

SNSが無ければこんなことにならずに済んだかといえばそうではなく、SNSが無かったとしても行き着く先は同じになってしまう可能性は否定できません。

なぜならイタズラは、放っておけばどんどんエスカレートするからです。

目的を考えれば分かりますが、イタズラは周囲の反応が良ければ良いほど、目立てば目立つほど、次はもっとすごい事をやってやろうという気持ちになってしまうモノです。

途中で誰かが止めてくれたとか、周囲がドン引きして仲間はずれにされかけたとか、自分でこのままでは良くないと気付ければ良いのですが、そうでなければより過激になっていってしまいがち。

保護者としては、我が子がそうなってしまう前に止めたいですよね。

では、そもそも何故、イタズラをしようという気になるのでしょう。

目立ちたかったから。ムシャクシャしていたから。これくらいは大丈夫だろうと思ったから。周囲がノってくれたから。

ニュースになってしまった人たちの口から出た言葉の数々ですが、これら全てが自分本位であることが分かるかと思います。

では何故、自分本位な考え方になってしまったのでしょう。

そもそも自分本位とは、自分を最優先に考えていて、他人は後回しにしている状態のこと。

基本的に人は、自分がされた事をそのまま返します。それしか知らないからです。

自分以外の人やモノを後回しにして大事にしないのは、自分が自分以外の誰からも後回しにされて大事にされていないと感じているから。

恐らく、周囲の人たちは大事にしているつもりです。でも、本人はそう思っていません。

認識のズレが生じているのは、本人の望んでいるモノと周囲が与えているモノにズレが生じているからです。

話を聞きましょう。

発達にでこぼこのある子は自分の気持ちを言葉にするのが難しい場合も多いですが、たどたどしい言葉でも、何が言いたいのかよく分からない話でも、ただただ話を聞いてくれるだけでも良かったりするのです。

そして、言葉にしましょう。

こんなことは恥ずかしくて言えないだとか、子どもなんだから言っても分からないだろうとか、色々と言い訳して本音で向き合わない人間が信頼されるはずありません。

大事にしましょう。

本人の心身の健康よりも自分の見栄を優先させたり、周囲の目や意見の方を優先したりしていませんか? 誰からも大事にされていないと感じている人間は、思いもよらない行動をしたりします。

親子でも別個の人間なので、そこまでやってもどうしても認識のズレは生じてしまいますが、そこまでやっただけの価値は必ずあります。無駄にはなりません。

いっぱい会話して、いっぱい関心を向けてください。

関心は向けても干渉はしちゃダメです。本人の気持ちを大事にしてくださいね。

親子関係で行き詰まったり悩んだりすることもあるだろうと思います。そんな時は私たちにご相談ください。誰かに話すことで考えがまとまる事もあります。

自分の強みは他人が教えてくれる

今回は、「精神科医が語る『学校嫌いの子』に勧めたい考え方 『苦手』は本当に克服すべきことなのか?」という記事をご紹介します。

長い人生の中で”決断の時”というと、進路選びや就職活動、結婚などが思い浮かぶかと思いますが、人は意外とカジュアルに決断をしていたりします。

今日はどの服を着よう。髪型はどうしようか。天気は一日中小雨らしいけど、傘は折り畳みにするか普通の傘にするか…。

決め事がない日なんて無いと断言出来るくらい、人は色々なモノやコトを決めながら生活しています。

実は、発達にでこぼこのある子は、この”決める”のが苦手。

毎日違うお洋服を選ばないといけないのは一苦労ですし、髪型もどうするのが良いのかよく分かりません。傘も、いるかいらないかの判断からして難しく感じてしまいます。

つまり、普通に生活しているだけでも小さなストレスの連続なのです。

でも、幼い頃から慣れ親しんでいる家の中ならまだマシな方で、お外に一歩でも出ると、そのストレスは倍増します。

道路に出れば知らない車が大きな音を立てて走っていたり、園や学校へ行けばみんながざわざわと色んな事を話していたり。

“毎日いつも同じ”を探す方が難しいほど、お外の世界は目まぐるしく変化しています。

発達にでこぼこのある子は、そんな世界にいるだけでいっぱいいっぱいになってしまいますが、他の子たちは平気そうどころか楽しそう。

自分は他の子たちと違うのではないだろうか。

その疑問はすぐに確信へと変わり、お外の世界を知れば知るほど自分が他の子たちと違うことを突き付けられ、仲間はずれにされたような疎外感と孤独感を深めていってしまうのです。

でも、みんながみんな同じわけではありませんよね。

勉強が出来る子は運動が苦手だったり、運動が出来る子はお歌が苦手だったり、お歌が得意な子はお外遊びが苦手だったり、お外遊びが得意な子は勉強が苦手だったり。

何でも出来る子なんてほんのひと握りで、誰もが何かしらの得意と苦手を持っています。

苦手なことばかり指摘されてしまうので、自分は苦手なことしか持っていないのだと思い込んでしまいがちですが、誰にだって得意はあります。

当たり前に出来ているので本人や家族では凄さが分からないだけで、家族以外の他の誰かから1度でも褒められたことがあるモノがその子の強みなのです。

たった1度褒められたくらいで調子に乗るのは良くないのではと思われるかもしれませんが、人から褒められるという行為自体、そう何度もあることではありません。

人は他人の苦手を指摘するのは上手なくせに、得意を見つけるのも、それを伝えるのもヘタクソですからね。

なので、他人の口から思わず出たという褒め言葉ほど信憑性の高いものはありません。

よく誰かから褒められたら謙遜してしまう人がいますが、たとえイヤミだったとしても褒め言葉は受け取っておきましょう。

本心から褒めてくれていたとしたら、せっかく褒めてくれたのに拒否してしまうことになりますし、イヤミだったとしても、受け取られるとは思っていなかったモノが受け取られると興醒めしてしまうものです。

さらに言えば、褒められた本人が謙遜するならまだ気持ちも分かりますが、保護者が謙遜するのはお門違いです。

その褒め言葉は本人に向けられたもので、保護者に向けられたものではないのです。勝手に拒否して良いものではありません。

それに、保護者の口から出る謙遜の言葉は、本人の褒められるべき所を”そんなことはない”と否定する行為です。本人の自己肯定感を下げることにもなりかねませんので絶対にやめましょう。

褒め言葉はきちんと受け取って、そしてそれは本人の強みなのだと誇りに思ってください。本人にも何度も語って聞かせてください。

そして、その強みを活かせる方向へと共に歩いて行ってください。

他人から指摘された苦手なことを出来るようにしようとするよりも、自分の強みをより強化する方が合理的だと考えられると楽なのですが、そう簡単に切り捨てられない(諦め切れない)のも人間の性。

苦手なことも”完璧に出来る”を目標にするのではなく、”少し出来る”という程度でも自分を許してあげられるよう本人に助言してあげてくださいね。

完璧じゃなくて良いんだよ。これくらい出来ていれば大丈夫なんだよと安心させてあげてください。

それでもきっと本人は、自分の出来ない部分が気になってしまうのだろうと思います。

そういうところも含めて本人ですから、気にしないようにと指導するのではなく、どうしても気になっちゃうよねと本人の悩みに共感してあげてくださいね。

サポートする側も悩みがある時は私たちにご相談ください。分かり過ぎるほど共感することも出来ますし、少しなら手助けも出来るかもしれません。

性被害に遭わないために

今回は、「性暴力から子どもを守る 文科省「生命の安全教育」広がる 千葉県内教委・保育園も」という記事をご紹介します。

子どもへの性教育と聞くと、照れや、どうやって教えれば良いのか分からないからと避けてしまう保護者も多いと思います。

ですが、避けた先にあるのは、子ども本人も自覚しないまま性暴力の被害者となってしまう可能性です。

発達にでこぼこのある子は人懐っこい子も多く、ちょっと目を離した隙に居なくなってしまうこともしばしば。

卑劣な加害者は、まだ性に関して知識の無い幼い子をターゲットにします。その際、男女はあまり問いません。

幼い子は何をされたのか分からないまま成長して行き、ある日唐突に知るのです。自分が性暴力の被害者であることを。

他人から自分の人権を踏みにじられていたと理解した途端、自己肯定感は地表どころか地底深くにまでめり込みます。

そうなると、地表まで浮上することすら難しくなってしまいます。

たった1度の被害でも、生涯に与える影響は計り知れないのです。

そうなる前に最低限の知識だけでも持たせようと、最近では園児の頃から自分の身体を他人に触らせたらいけないという教育がなされるようになっています。

ここで言う他人とは家族も含まれます。

家族が加害者になるはずがないだろうと思われるかもしれませんが、性犯罪の8割は顔見知りによる犯行です。

ですが、警察に実際に届けられた被害届ではこの数字が逆転します。顔見知りによる性犯罪は2割以下になってしまうのです。

顔見知りからの性被害がいかに声を上げ辛いかが分かるかと思いますが、家族による犯行を最初から無いものとして扱うと、被害を受けた子どもは声を上げずに飲み込んでしまいます。

ですから、家族からの性加害を無いものとしては扱わず、可能性としてはあると頭の片隅に置いておいてください。

もちろん、自分が加害者になる可能性もあります。

気を付けていたつもりであっても、本人がイヤだと思うような事をしてしまう可能性は否定出来ません。

なので、物心がつき始めた2〜3歳頃からは本人の身体に無断で触るのは極力避け、家族であっても適度な距離感を保つ事が大事なのではないでしょうか。

一緒に暮らしていると距離感がバグりがちですが、血がつながっているとしても自分以外の人間は他人です。

赤の他人にしないようなことは家族にもしない。

ここをしっかりと意識し、子どもにも意識させていかなければ、幼い子は、親が自分の身体を勝手に触るのだから、自分も勝手に他人に触って良いのだと解釈して加害者になってしまう可能性もあります。

無自覚であっても被害者から見れば加害者は加害者です。やってしまった事は絶対に消えません。

そうなる前に、他人の身体を勝手に触ってはいけないこと、家族であっても他人に自分の身体を触らせたらいけないことをしっかりと教える事で、子どもが被害者にも加害者にもならずに済むのではないかと思います。

性教育は恥ずかしいと思うのであれば、今は色々と本が出ています。

幼い子ども向けの絵本も色々ありますし、思春期の子ども向けのもうちょっと詳しい本もマンガもあります。

男の子だから男の子の身体のことだけ知っていれば良いわけでも、女の子だから女の子の身体のことだけ知っていれば良いわけでもありません。

性に関しては多様化していますので、子どもが間違った知識を仕入れる前に、正しい身体のしくみをしっかりと学ぶ機会を設けてあげてくださいね。

どんな本が良いか悩んだ時は私たちにご相談ください。子どもの反応が良かった本をいくつかご紹介出来ると思います。

言葉も人見知りする

今回は、「言葉が出づらい子は吃音、場面緘黙、発達障害、どう判断する?言語聴覚士に聞いた!」という記事をご紹介します。

人見知りをして保護者の影に隠れてしまうというのは小さい子あるあるですが、小さい子は言葉も人見知りをしてしまうことがあります。

家族だけの場ではおしゃべりなのに、家族以外の人がいる場では口を開かない。

保護者はついつい「挨拶しなさい」と言ってしまいがちですが、小さい子が人見知りするのは、家族以外の大人が怖いからです。

大人でも、初対面の見るからに怖そうな人に挨拶しろと言われたら、「怒らせたらどうしよう」とビクビクしてしまいますよね。

小さい子からすれば、見上げるほど大きい大人は「進撃の巨人」に出て来る巨人のようなもの。

自分に絶対に危害を加えない、それどころか楽しいことをしてくれると分かるまでは気を許すはずがありません。

そう考えると、自分を絶対に守ってくれると分かっている人の影に隠れて様子を伺うのは、正しい行動だと言えるでしょう。

言葉も同じです。

何を言っても大丈夫と安心出来る環境であれば口から出て来ますが、不安感が強いとなかなか出て来ようとしません。

吃音(きつおん)や場面緘黙(ばめんかんもく)、発達障がいなど、言葉がなかなか出て来ない理由は様々ですが、言葉が出て来る理由はただ一つです。

本人がリラックス出来ているかどうか。

不安感が強い中で声を出せと言われても、「進撃の巨人」に出てくる巨人に囲まれている中で声を出せと言われてるようなものです。想像するだけで死ぬほど怖い。

そんな状態の本人に声を出せと強要する事は、更なる恐怖に追い込む事にもなりかねません。

周囲が出来ることは、不安感が増すような事をしないのはもちろんのこと、本人が安心出来るよう環境を整えること。

言葉以外でもコミュニケーションが取れるよう、「はい」「いいえ」と書かれた紙で意思表示してもらうなど、本人が出来そうな事から始めると良いのではないでしょうか。

言葉が出て来なかったり出辛かったりしている事は、周囲以上に本人が一番良く分かっています。

周囲から指摘されれば、その事を気にしてさらに言葉が出て来なくなったりもします。

なので、本人のペースでおしゃべり出来るよう、強要や指摘などはせず、そのままで良いんだよとありのままの本人を認めてあげてください。

初めましての人と会った時も「挨拶しなさい」と強要するのではなく、「人見知りする子なんです」と、本人が無理に声を出さなくても大丈夫な状況にしてあげてください。

そうやって何度も何度も守ってもらっているうちに、守ってくれる人がいる場なら言葉が出て来るようになったりもします。

家族と楽しくおしゃべりが出来ているのなら、きっと大丈夫。

家族、家族以外の親族、良く会う人たち、たまに会う人たち、初対面の人たちの順で難易度が上がっていくので、ゆっくりと時間を掛けて、家族以外の人たちともおしゃべりが出来るようサポートしてあげてくださいね。

おしゃべりの練習をしたい時は私たちにご相談ください。言葉が出なくても大丈夫と声を大にして言える私たちがお待ちしています。

勉強は楽しくないと始まらない

今回は、「発達障害中1息子、集団授業は苦手、個別指導は塾代が…タブレット学習を始めて分かった「勉強アプリ」のメリットデメリット」という記事をご紹介します。

発達にでこぼこがある・ないに関わらず、勉強するのが得意もしくは好きだという子はあまりいません。

遊ぶ方が楽しいですし、今はYouTubeやゲーム、アニメなど娯楽となるモノもたくさんあります。

そんな楽しいことがいっぱいの環境の中、楽しいことの時間を削ってでも勉強しろと言われても、「ハイ分かりました」と素直に勉強するはずがありませんよね。

かといって勉強しなくても良いかというと、この世の中そう優しい世界でもないので、出来るだけ勉強して自身を助けるための知識と知恵を身に付けて欲しいところ。

では、どうすれば勉強してくれるようになるのでしょう。

そもそも、「勉強して欲しい」は親のエゴという名の押し付けです。

子どもなので当たり前ですが、子ども自身はまだ、勉強の大切さや知識の必要性など全くと言って良いほど理解していません。

何故勉強しなければいけないのか分からないまま、やれと言われたからやっているに過ぎません。

だいたいの人がそうですが、勉強の大切さや知識の必要性などを身に染みて理解するのは大人になってからです。

大人になってから「もっと勉強しておけば良かった」と後悔しても、勉強のし直しなんてなかなか出来るものではありません。

それが分かっているから、大人は子どもに勉強しろと言うのです。

でも、子どもにそう言ったところで”理解”出来るはずもありません。

面倒なことに、実際にそうなった時に初めて、人は「もっと勉強しておけば良かった」と”理解”するものだからです。

自分と同じ後悔をして欲しくないという想いから、「勉強して欲しい」という気持ちが強く出てしまいがちですが、それは親のエゴという名の押し付けであって子どもの意思に沿ったものではありません。

勉強よりも遊ぶ方が楽しいですからね。子どもは基本、勉強したくはないのです。

そんな子どもに勉強してもらうためには、スマホやゲームなどの楽しい環境をそもそも子どもに与えないか、勉強をすると良いことがあるというご褒美システムを作るしかありません。

楽しい環境をそもそも与えないというのはかなり難しいと思うので、楽しい環境の方は時間などで制限するに留めつつ、子どもにとって魅力的なご褒美システムの方を作ってください。

ご褒美は何でも良いですが、楽しい環境をご褒美にするのが最も効果的だと思います。

◯◯をやったらゲームを●分追加でやって良い、というようなルールを子どもと一緒に作ります。

“ルールを子どもと一緒に作る”というところが大事な部分です。

子どものためとはいえ、自分と同じ後悔をして欲しくないという親のエゴで勉強してもらうのです。

親が作ったルールを子どもに押し付けるというエゴの重ね塗りをするのは、子どもからの強い反発を招きかねません。

もちろん、そもそものルール作りすら嫌がられる可能性は高いです。

その場合、勉強して欲しいというのは親の押し付けだと分かっていること、それでも勉強することが大事だと思うから勉強して欲しいと言っていること。勉強が何故大切なのか、自分が「もっと勉強しておけば良かった」と後悔した時の出来事などを語って聞かせてください。

渋々でも納得してくれ、ルール作りに協力してくれたら、今後「勉強しなさい」とは絶対に言わないことも約束します。

勉強は無理矢理やらせるものではありません。

子どもはご褒美が欲しければ勝手にどんどん勉強しますし、勉強が楽しくなってきたらご褒美関係無く勉強し始めます。

勉強しないとヤバそうと思ったら自分から勉強しますし、親がいくら「勉強しなさい」と言ってもしない子はしないのです。

なので、「勉強しなさい」という声かけはあまり意味がありません。

それどころか、親のエゴの更なる押し付けとなり、子どもから反発される一方ですから言わない方がよっぽどマシです。

勉強は難しくて苦手という子の場合は、勉強する学年を本人が簡単に出来るところまで下げてくださいね。

それなら勉強も簡単に出来てご褒美がもらえますし、下の学年の簡単に出来るというところまで戻ってから勉強し直していくことで、現在の学年の勉強が分かるようになったりもします。

つまりは、子ども本人がご褒美欲しさでも自分から勉強する環境を最初に作り上げてしまえば、後は本人が自分のペースで勉強していってくれるのです。

もちろん、後は放置で良い訳ではありません。

子どもがどれくらい勉強しているのかチェックだけは必ずします。

新しいことにチャレンジした形跡があれば、そのチャレンジを必ず褒めてください。ここまで進んでるんだねと、子どもの実績を認めてあげてください。

勉強している自分を興味を持って見てくれている存在がいるとなると、もっと褒めてもらいたくてより勉強に力が入るようになったりもします。

そうやって自分のペースで勉強するのに、本人に一番合っている最適な勉強方法を見つけてあげてください。

「お金が無いから勉強させてあげられない」は、一昔前の話。

今はスマホ一つ、やり方次第でいくらでも勉強出来る時代です。塾や家庭教師、タブレット学習じゃないと勉強出来ないなんてこともありません。

一番大事なのは本人のペースに合わせられることと、本人が楽しく続けられることです。

最初はご褒美欲しさで全然構わないのです。勉強は楽しいものだと思ってくれるだけで良いのです。

勉強は楽しいものだと思ってくれさえすれば、後は自分で勝手に勉強してくれます。

「もっと勉強しておけば良かった」と後悔している大人がやるべきことは、「勉強しなさい」と子どもに勉強を押し付けるのでは無く、どうすれば子どもに勉強という大きな実りを与えられるか、持っている知識と知恵を総動員して考えることだと思います。

ご褒美システムをどう作ったら良いか分からない時は私たちにご相談ください。私たちの知識と知恵も合わせれば、良い案が見つかるかもしれません。

感覚を擦り合わせよう

今回は、「『いつも大切な仕事が後回しに』『異動の内示でパニック寸前』大人の発達障害“リアルな日常”」という記事をご紹介します。

発達にでこぼこのある子と会話をしていると、たまに話が噛み合わなくなることがあります。

不思議に思って確認してみると、どうやら本人の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)で受け取っているモノが、一般的なモノと違っていたり、少しズレていたりするようなのです。

例えば、文字を書く時。

一般的に、文字を書きながらペン先を見ている人はあまりいません。

意識したことすらない人が多いと思いますが、文字を書いている時は書いている文字の方を見ているはずです。

書き上がっていく文字を見ながら、次はどう書くのかを考えているはず。

ですが、発達にでこぼこのある子は、ペン先を見ていて文字があまり見えていないらしいのです。

ペン先という”動くもの”が気になってしまうからなのだろうと思いますが、発達にでこぼこのある子と同じようにペン先に視線を当てたまま文字を書こうとすると、恐ろしく書き辛いことが分かるかと思います。

さらに言うと、ペン先の動きに合わせて視線を動かすので酔います。

こんな状態で文字を書くのですから、上手く書けなくて当然ですよね。書いているとすぐに疲れてしまうというのも頷けます。

では、ペン先ではなく文字の方を見るように指導すれば解決することなのかというと、そう単純なことでもありません。

発達にでこぼこのある子には、”動くもの”が気になるという特性があるからです。

ペン先ではなく文字の方を見ることで字が整うようになると教えるのは良いですが、本人が望んでいないのに何度も繰り返し書かせたり、綺麗に書けるようになるまで練習させるのはあまり好ましくありません。

ペン先に視線を当てたまま書いてみると分かると思いますが、自分にとっていつも通りではない条件下では、いつも通りの文字を書くことすら難しいのです。

ペン先ではなく文字を見ながら書くということに慣れるまでには結構な時間がかかること。慣れるまでは前と同じように書けなくても当たり前だということを本人にも伝えながら、ゆっくり時間をかけて楽しみながら文字の練習をしていってください。

最終的な目標は、他人が読めるくらいの字が書けること。

綺麗である必要はありません。

ひらがなが多くても構いません。

書いた内容が相手に伝われば良いのです。

もちろん、書くよりもパソコンやスマホなどで打つ方が楽だというなら、そちらを使った方が効率的でしょう。

このように、発達にでこぼこのある子が五感でどういう受け止め方をしているのかを知ることで、本人に合った対処方法は何なのかを考えることが出来るようになります。

上記記事内にもありますが、発達にでこぼこのある子は、本人の努力だけでは難しい部分がどうしても出て来てしまいます。

ですので、とりあえずの目標は最低限に設定して、上を目指せそうなら上を目指し、下回りそうならツールを使ったり人の手を借りたりしましょう。

そうすることで、本人も周囲もあまりストレスを感じることなく過ごせるようになるのではないかと思います。

本人の特性が良く分からない時は私たちにご相談ください。似たような特性を持った子がいたら、対処方法の一つくらいはお伝えできるかもしれません。

「相談支援ファイル」を活用しよう

今回は、宮崎県教育委員会が開発した「発達障がいを含む障がいのある子どもの『相談支援ファイル』」をご紹介します。

発達にでこぼこのある子だけではありませんが、人は色々な人と関わりながら生活しています。

家族や親戚、ご近所さんなどの身近な人々はもちろんのこと、乳幼児期は病院の先生や看護師さん、健康診断をしてくれる保健所の保健師さんや、通園すれば園の先生やお友だち。

小学校や中学校に通うようになればそれぞれの先生やお友だちと、生きていく上でたくさんの人と関わります。

発達にでこぼこのある子は一見、”普通”の子と変わりません。

そうなると、本人が抱えている困りごとや特性を話しても、あまり理解してもらえないことがあります。

少ししか関わらない人ならそれでも構わないと思いますが、毎日のように関わる人には本人についての理解を深めて貰わなければ、本人にも関わる人たちにもストレスが掛かってしまいます。

そこで、上記ファイルの登場です。

幼い頃からの本人を一番近くで見て来ているのは保護者です。

本人は自分で自分を見ることが出来ないので、一番身近にいる保護者の方が本人の困りごとや特性を本人よりも知っていたりします。

それに、本人と保護者が一緒に試行錯誤して見つけた対処方法もたくさんあるはずです。

どういうことをされると癇癪(かんしゃく)に繋がるのか。

どういう風にすれば指示が伝わるのか。

どうすれば落ち着くのか。

好きなものは何なのか。嫌いなものは何か。

得意なことは何か。苦手なことは何か。

これらの”今現在分かっていること”を事前に伝えれば、本人と関わる人たちがあまり困惑することなく本人と関わっていくことが出来るようになります。

もちろん、成長するに従って本人の出来ることも増えていきます。

そんな場合でも、このファイルを更新していくことで、関わる人たちに本人の成長具合が目に見えて分かりますし、本人も自分が成長していることを実感出来るはずです。

関わる人たちからの情報もファイルに加えていけば、より詳しく本人のことを知ることが出来るようにもなります。

ファイルの項目を全部埋めなくても大丈夫。

量が多くて書くのが大変でしょうから、これだけは伝えておきたいという項目だけでも全然良いと思います。

本人について知ってほしいと思い、関わる人に色々と話しても上手く伝わらなかったりすることがあるかと思いますが、話を聞いただけで分かってくれる人はそれほどいません。

事前に話を聞いて、詳しい資料を貰って、実際に本人の困りごとや特性を目にして初めて分かるという人は結構多いのです。

ですので、是非ともこのファイルを有効活用して、本人がストレス無く人と関われるよう手助けしてあげてください。

ファイルに書く内容などに迷ったら私たちにご相談ください。一緒に考えましょうね。

自分の人生は自分で決めるのが◎

今回は、「約20年当事者と家族を支援、臨床心理士が考える『不登校の子の進路選択』」という記事をご紹介します。

前回の記事で、不登校の子には本人の望んでいないことはしない・させない・言わないという「何もしない」をやってみましょうと提案しましたが、実際にやってみたという方はいらっしゃるでしょうか。

宮崎県にも縁がある農学博士が仰っていましたが、100人に講義して全員が素晴らしい技術だと絶賛してくれたとしても実践してくれるのは10人いるかいないか。1年後も継続して実践してくれているのは良くて1人か2人くらいなのだそうです。

“実践する”が意外と難しいことなのだと分かるお話ですが、効果があるかどうかも分からない「何もしない」をやってみようと思える人の方が少ないでしょうし、実際に「何もしない」をやってみたという方は継続が難しいことも良く理解出来たかと思います。

そして、「何もしない」を実践してみた方は、周囲の人が「何もしない」ことこそが本人の安定に繋がると気付けたのではないでしょうか。

上記記事にあるように、周囲の人が「何もしない」ことが本人の”心のエネルギー”を充電するためには必要であり、本人ですら本人の望んでいないことは「何もしない」ようにすることが大事なのです。

本人なのに本人の望んでいないことをするはずがないだろうと思った方は、新型コロナやインフルエンザなどで体調が悪くて仕事を休んだ時のことを思い出してみてください。

仕事を休めた安堵感はあったでしょうが、それ以上に仕事を休んでしまった罪悪感と後ろめたさでいっぱいだったのではありませんか?

休んだことで滞ってしまう仕事が気がかりで早く復帰しなければと思いませんでしたか?

不登校の子も同じです。

罪悪感と後ろめたさでいっぱいで、早くどうにかしなければという焦りと不安もあります。

無意識に自分で自分の“心のエネルギー”を削ってしまっているので、学校を休んでもなかなか回復出来ず、焦りと不安がますます大きくなってしまって不登校が長期化してしまうというわけです。

学校へ行けなくなったり授業に付いていけなくなると、進路について不安を感じる保護者が多いと思いますが、それ以上に不安を感じているのは本人自身です。

少しでも良い学校へ進学するために無理してでも学力を上げることに注力しがちですが、それが原因で体調を崩してしまっては意味がありませんし、無理して入ったとしても、入った先で授業に付いていけなければ中退ということにもなりかねません。

出来る範囲内で出来ることをやり、結果としての学力に見合った学校へ進学するのが本人にとっても一番良いのではないでしょうか。

もちろん、学校の雰囲気や先生たちの印象、実際に通っている生徒たちの様子などを見て本人が気に入るかどうかも大事です。

学校見学や通学路の確認なども入念に行い、どの学校となら相性が良さそうか本人と相談しながら選んでくださいね。

その際、保護者の願望はちょっと横に置いておきましょう。

選択肢を提示するのは良いですが、どうするか決めるのは本人です。保護者が決めて良いことではありません。

血の繋がった親子であっても親と子は違う人間で、違う人生を歩くのですから、自分の人生は自分で決めさせましょう。

そうやって自分で決めた人生であれば、本人も後悔無く歩いていけるのではないかと思います。

発達にでこぼこのある子の不登校や進路など、一人で悩まず私たちと共有してください。一緒に考えたり、選択肢の一つくらいは提案出来るかもしれません。

「何もしない」は難易度Sクラス

今回は、「小児神経専門医が警鐘、問題生む「不登校=起立性調節障害」という誤解」という記事をご紹介します。

発達にでこぼこのある子は体質的に自律神経が乱れやすいようで、時期によっては特に体調を崩しやすかったりします。

上記記事にもあるように単純な起立性調節障がいと診断される場合もありますが、複合型の起立性調節障がいの場合は自律神経以外にも精神的なモノによる不調もあり、長期化してしまうことがままあります。

保護者としては、このままずっと登校できなくなってしまうのではないかと心配になりますよね。

不登校の子が登校できるようになるには周囲の理解が必要とよく言われますが、”周囲の理解”とはどういう状態を指すのでしょう。

起立性調節障がいや発達障がいについて知れば良いのではと思われるかもしれませんが、知識として”知る”ことと、”理解する”ことは別です。

誰もが”知っている”だろう内閣総理大臣で例えてみますね。

内閣総理大臣のことはテレビで良く見るから知っているけれど、内閣総理大臣が具体的にどういう仕事をしているのか実際には見たことがないし良く分からない。内閣総理大臣が大変そうというのは何となく分かるけれど、何が大変なのかは内閣総理大臣になったことがないから分からない。

つまり、“知る”ことはある程度出来ますが、”理解する”ことは当事者にならない限り難しいということ。

頭痛も腹痛もめまいも、本人が感じている不調は本人にしか分からないモノです。

不登校になった経緯も本人にしか分からないモノですし、ヘタをすると本人も分かっていなかったりします。

そんな中で周囲の人間が出来ることは、本人の話を良く聞いて、本人が望んでいない事をしないこと。させないこと。言わないこと。

つまり「何もしない」です。

そんなことで登校できるようになるわけがないと思われるかもしれませんが、今までにも色々と試しましたよね。

やれることは全部やってみたけど変わらなかったんですよね。

なら、「何もしない」もやってみましょう。1週間でも数日でも良いですから。

本人にも本人が望んでいないことは「何もしない」「何もさせない」「何も言わない」宣言して、守られなかったらレッドカードを出してもらうようにもしましょう。

「何もしない」くらいで何かが変わるわけがないと思われるかもしれませんが、実際にやってみると「何もしない」が相当難しいと分かるはずです。レッドカード出されまくりのはずです。

こんなことでもレッドカードになってしまうのか。

こんなにもイヤだと思っていたことがあったのか。

「何もしない」がこんなにも難しいのはどうしてだろう。

そうやって「何もしない」ことで見えてくるモノを”理解”していくことで、周囲も本人もちょっとずつ楽になるのではないかと思います。

騙されたと思って「何もしない」を試してみてくださいね。

そして、少しでも良さを感じられたなら続けてみてください。苦しくて難しいだろうと思いますが、本人と、何より自分自身のためにも是非。

学校に行けるかどうかは学校側の問題もあるでしょうから難しいかもしれませんが、一番身近な人たちが「何もしない」ことで精神的に安定し、少しだけなら、午後になら、保健室になら行ってみようかなと本人から言ってくれるようになる可能性はあります。

少しだけでも学校に行こうと思えるようになったのなら、「何もしない」は大成功です。でも、焦りは禁物。

焦らずゆっくりじっくりと、ちょっとずつ学校の時間が増やせるよう、家庭で成功した「何もしない」を学校側にもお願いしてみてください。

一進一退でジリジリとした時間が続くかと思いますが、どうか焦らず。

そうやって「何もしない」で自分のペースに合わせてくれる人たちがいるのは、本人にとっては心強いのではないかなと思います。

そうは言っても「何もしない」のは不安で仕方がないと思います。不安に押しつぶされそうな時は私たちと共有してくださいね。私たちも同じ不安を抱えていますから、支え合いましょう。