自分の強みは他人が教えてくれる

今回は、「精神科医が語る『学校嫌いの子』に勧めたい考え方 『苦手』は本当に克服すべきことなのか?」という記事をご紹介します。

長い人生の中で”決断の時”というと、進路選びや就職活動、結婚などが思い浮かぶかと思いますが、人は意外とカジュアルに決断をしていたりします。

今日はどの服を着よう。髪型はどうしようか。天気は一日中小雨らしいけど、傘は折り畳みにするか普通の傘にするか…。

決め事がない日なんて無いと断言出来るくらい、人は色々なモノやコトを決めながら生活しています。

実は、発達にでこぼこのある子は、この”決める”のが苦手。

毎日違うお洋服を選ばないといけないのは一苦労ですし、髪型もどうするのが良いのかよく分かりません。傘も、いるかいらないかの判断からして難しく感じてしまいます。

つまり、普通に生活しているだけでも小さなストレスの連続なのです。

でも、幼い頃から慣れ親しんでいる家の中ならまだマシな方で、お外に一歩でも出ると、そのストレスは倍増します。

道路に出れば知らない車が大きな音を立てて走っていたり、園や学校へ行けばみんながざわざわと色んな事を話していたり。

“毎日いつも同じ”を探す方が難しいほど、お外の世界は目まぐるしく変化しています。

発達にでこぼこのある子は、そんな世界にいるだけでいっぱいいっぱいになってしまいますが、他の子たちは平気そうどころか楽しそう。

自分は他の子たちと違うのではないだろうか。

その疑問はすぐに確信へと変わり、お外の世界を知れば知るほど自分が他の子たちと違うことを突き付けられ、仲間はずれにされたような疎外感と孤独感を深めていってしまうのです。

でも、みんながみんな同じわけではありませんよね。

勉強が出来る子は運動が苦手だったり、運動が出来る子はお歌が苦手だったり、お歌が得意な子はお外遊びが苦手だったり、お外遊びが得意な子は勉強が苦手だったり。

何でも出来る子なんてほんのひと握りで、誰もが何かしらの得意と苦手を持っています。

苦手なことばかり指摘されてしまうので、自分は苦手なことしか持っていないのだと思い込んでしまいがちですが、誰にだって得意はあります。

当たり前に出来ているので本人や家族では凄さが分からないだけで、家族以外の他の誰かから1度でも褒められたことがあるモノがその子の強みなのです。

たった1度褒められたくらいで調子に乗るのは良くないのではと思われるかもしれませんが、人から褒められるという行為自体、そう何度もあることではありません。

人は他人の苦手を指摘するのは上手なくせに、得意を見つけるのも、それを伝えるのもヘタクソですからね。

なので、他人の口から思わず出たという褒め言葉ほど信憑性の高いものはありません。

よく誰かから褒められたら謙遜してしまう人がいますが、たとえイヤミだったとしても褒め言葉は受け取っておきましょう。

本心から褒めてくれていたとしたら、せっかく褒めてくれたのに拒否してしまうことになりますし、イヤミだったとしても、受け取られるとは思っていなかったモノが受け取られると興醒めしてしまうものです。

さらに言えば、褒められた本人が謙遜するならまだ気持ちも分かりますが、保護者が謙遜するのはお門違いです。

その褒め言葉は本人に向けられたもので、保護者に向けられたものではないのです。勝手に拒否して良いものではありません。

それに、保護者の口から出る謙遜の言葉は、本人の褒められるべき所を”そんなことはない”と否定する行為です。本人の自己肯定感を下げることにもなりかねませんので絶対にやめましょう。

褒め言葉はきちんと受け取って、そしてそれは本人の強みなのだと誇りに思ってください。本人にも何度も語って聞かせてください。

そして、その強みを活かせる方向へと共に歩いて行ってください。

他人から指摘された苦手なことを出来るようにしようとするよりも、自分の強みをより強化する方が合理的だと考えられると楽なのですが、そう簡単に切り捨てられない(諦め切れない)のも人間の性。

苦手なことも”完璧に出来る”を目標にするのではなく、”少し出来る”という程度でも自分を許してあげられるよう本人に助言してあげてくださいね。

完璧じゃなくて良いんだよ。これくらい出来ていれば大丈夫なんだよと安心させてあげてください。

それでもきっと本人は、自分の出来ない部分が気になってしまうのだろうと思います。

そういうところも含めて本人ですから、気にしないようにと指導するのではなく、どうしても気になっちゃうよねと本人の悩みに共感してあげてくださいね。

サポートする側も悩みがある時は私たちにご相談ください。分かり過ぎるほど共感することも出来ますし、少しなら手助けも出来るかもしれません。