バフを掛けよう

今回は、『「信用」と「信頼」 似ているけれど「使い分けるコツ」は何?』という記事をご紹介します。

一般的に大人というと「信用」出来る人であり、「信頼」出来る人であるという認識だと思います。

子育て中の保護者も我が子がそんな大人になってくれるよう、何かにつけてあれこれと話をしているのではないでしょうか。

ですが、そんな保護者自身が自分の保身のために嘘を吐いたり、我が子に限らず誰かを騙すようなことをしていれば、そんな保護者を毎日のように見ている子どもは、それが当たり前の世界だと思ってしまいます。

人間を含む哺乳類は身も心も未熟な状態で生まれるため、誰かからお世話され、自分では分からないことは誰かから教えられないと生きていけません。

何のストレスもない心の底から安心出来る環境で、生きていくために必要な知識・知恵を身に付け、社会の仕組みを学び、生活に関する技術を磨く。

何も知らない分からない子どもにとって、目の前に広がっている風景が、この世界の当たり前なのだと思い込んでしまうのも当然ではないでしょうか。

例えば、保護者が息を吸うように当たり前の顔で子どもに嘘を吐くような人だったとします。

保護者は冗談のつもりだったかもしれませんが、素直でまだ世間を知らない子どもに冗談が通用するはずもありません。冗談を面白いと思えるのは、それが冗談だと分かりきっている大人同士だからです。

しかも、嘘を吐いたのかと子どもが怒って見せても、こんな冗談も分からないのかと大人から笑われたりすると、嘘を見抜けなかった自分が悪いと子どもが思うのも当然ですよね。

素直な子どもが、それまで信頼しきっていた保護者から騙されていた。嘘を吐かれていたとなると、本人から見えている世界は一気に誰も信用できない暗黒の世界になります。誰の言葉も信用出来なくなります。

では、大人は冗談も言ってはいけないのか、あれこれ我慢しなければいけないのか、そんなの出来るはずがないだろうと思われるかもしれませんが、一つだけ子どもが生まれ持っている綺麗で美しい世界を守る方法があります。

保護者やその周辺の大人が子どもを見て笑うのは、子どものことが大好きで可愛いなと思っているからだと本人に教えてあげることです。

実際、子どもがコケたり失敗した時についつい笑ってしまう大人は多いと思いますが、それはバカにしたような笑いではないはずです。赤ちゃんやよちよち歩きの小さい子を見ると、抑えようとしてもついついニコニコしてしまうアレと一緒ですよね。

もちろん、バカにしたような笑いを向ける大人気ない大人もいると思いますが、そんな大人は大人になりきれていない子どものような大人であって、子どもが気に病むような存在ではありません。

周囲の大人が子どもに向かって笑うのは、自分のことを可愛いなと思ってくれているから。

保護者からそう教えられた子どもは、素直にそれを信じます。保護者から何度も繰り返しそれを伝えられることで、悪意のある人間からバカにしたような笑いを向けられたとしても、自分が可愛いからかと思い込みます。

実際に、赤ちゃんや園児を見るとニコニコする大人たちを何度も何人も繰り返し見ることで、保護者が言っていたことは本当なんだと信用するでしょう。

そんな信頼に足る保護者から愛されているという実感と自信があれば、自己肯定感が高くなるので、ちょっとやそっとの悪意では傷付きません。

恐らくですが、バカにしたような笑いを向ける人間も、本人が気付いていないだけで可愛いなぁ好きだなぁいいなぁ羨ましいなぁと思っているから見ているし笑っているのです。本人は絶対に認めないと思いますが。何が何でも認めないと思いますが。

自分の気持ちを素直に認めていない人間はやっかいの極みなので、意地悪してくるとか意地悪を言ってくるというような子も、本人のことが好きだから構って欲しくてやっていることなのではと教えてあげると本人も気にしなくなりますし、本人が素直にそれを相手の子に伝えたとしたら、相手は絶対に二度とやらなくなります。不憫。

自己肯定感とは、保護者や周囲の大人が本人に掛けてあげられるバリアのようなものです。自己暗示に近いので、保護者や周囲の大人からの言葉が重要になってきます。

大好きだよ。すごいね。えらいね。頑張ってるね。出来るようになってきたじゃん。え、うちの子可愛すぎる。

保護者や周囲の大人からのこれらの言葉は、子どもに日常的にバフ(某有名な土管のゲームでいう、大きくなったり回復するためのキノコみたいなものです)を掛けているようなもので、そのバフが多ければ多いほど、強ければ強いほど、子どもは強く逞しく成長していきます。

もちろん、なかなかそういう声掛けが出来ないという保護者もいると思います。

そんな方は、ついうっかりで良いのです。ポロッと、可愛いなとか凄いなと本心を零してあげてください。子どもから聞かれた時は、照れくさいだろうとは思いますが、しっかりと応えてあげてください。

子どもがそういうことを聞いてくるのには理由があります。恐らくですが、外の世界で辛い何かがあったのです。でも、保護者に心配させたくなくて言いたくないのです。自分が尊敬している保護者から愛されている、存在を認められているという自信を取り戻したいのです。

滅多に言わない褒め言葉でも、滅多に言わない愛の言葉でも、滅多に言わないからこその威力があります。子どもにとってはそれだけでも充分です。

子どもは強いです。保護者があれこれやってあげていないし出来ていないなと思うようなことでも、やれないならやれないなりに、出来ないのなら出来ないなりに、どれだけ小さくても出来ることをコツコツと続けるだけで大丈夫です。

保護者に反発しまくっている子どもだとしても、意外ときちんと保護者の事情だとかを理解してくれています。出来ない事情をしっかりと説明すれば理解してくれます。

反発しまくってるのは素直じゃないだけです。どう言えば良いか分からず、自分の気持ちを言葉で上手く伝えられないだけです。子どもはただただ保護者に無理をして欲しくなくて怒っているのです。

「自分でやるの!」と、魔の2歳児の頃のように頑張ってみるけれど、保護者のようには出来ない自分が不甲斐なくてイライラしているだけなのです。そのことに本人も気付いていないと思いますし、絶対に認めようともしないとは思いますが。

そう考えると、ムカつく反抗期もただただ可愛いになりますよね。

子どもになかなか良い声掛けが出来ないという方は私たちにご相談ください。私たちも似たようなことで悩んでいる仲間です。どんな声掛けが有効だったか情報交換しましょうね。

教科書を作るために

今回は、『東大卒夫婦が抱えた「子育ての悩み」とは? 「頭良すぎるとそう思うんだ」の声…Xで盛り上がる教育の難しさ』という記事をご紹介します。

東大卒というともの凄く頭が良い人たちですが、上記記事を読むと分かるように、もの凄く頭が良い人たちでさえ自分の子を理解出来るようになるまで10年掛かっています。

この世の中に我が子を育てるための教科書なんてモノはありません。子ども一人一人個性があり、それぞれ人格が違うからです。東大卒の人たちも我が子を育てるための教科書なんてものはない状態で、一から我が子のことを知っていったのです。

ああでもない、こうでもないと頭を悩ませること10年。長い年月ですよね。人生が100年だとしたら、約10分の1です。そんな長い年月を掛けてやっと我が子のことを理解出来たところで初めて、その子に合った教育が始まるのです。

ですが、東大卒の人たちでさえ10年です。”普通”の人なら、子どもが自立しても分からないままかもしれません。

保護者にとって子育て期間は人生の約4分の1程度ですが、子ども本人にとっては自立するまでの人生全ての期間で、自分をあまり理解してくれていない大人たちからあれこれとお世話されることになります。

保護者だけでなく本人の周囲にいる全ての人が本人に対して無理解な状態であれば、結構なストレスですよね。自分ではどうすれば良いのかすら分からない状態で、周囲からは早く出来るようになれ、何で出来ないんだと言われるのです。

そんな状態の本人が感じている苦痛は、私たち保護者にとっての子育てと一緒です。

私たち保護者も自分が親からされたことと同じように育ててみるものの、トラブルが次から次へと続出するのです。自分が親から受けた教育が我が子には合わないとなると、一気に何も分からなくなりますよね。苦痛しか感じなくなります。

我が子可愛さだけで子育てをしているような状態になってしまうと、あっという間に親子ともに限界が訪れます。そうなれば家族崩壊なんてことにもなりかねません。

今現在、親子そろって苦痛しか感じていないのであれば、出来るだけ早く保護者向けのペアレント・トレーニングを学ぶことをオススメします。

ペアレント・トレーニングとは、発達にでこぼこがある子を持つ保護者向けに国や医療機関が推奨している子育て方法です。もちろん、発達にでこぼこがなくても有効ですし、我が子を育てるための教科書を保護者自身で作り出す方法だと思ってください。

そして、保護者がペアレント・トレーニングを学び、本人に効果的な子育て方法が理解出来るようになるまでは、本人に”何もしない”でください。赤ちゃんの頃と同じように、本人が出来ていないこと全てのお世話をしてあげてください。

もちろん、本人の心身の健康に関わること、犯罪に繋がるようなこと、他人に迷惑を掛けるようなことであれば全力で止めてください。叱ってあげてください。

ですが、それ以外のことはペアレント・トレーニングを学んで実践してみようと思えるようになるまで”何もしない”を徹底します。

相当難しいです。保護者は自分の感情をコントロールしなければなりません。

動画を見ながらゴロゴロしていても何も言ってはいけませんし、学校の宿題をやらずにゲームしていても怒ってはいけません。コップを割っても怒ってはいけませんし、脱ぎ散らかした服がリビングに置きっぱなしでも、保護者が「代わりに片付けておくね」と言ってから本人の代わりに片付けてあげるのです。本人が嫌がることも禁止です。

小学生、中学生、高校生ともなると相当大変ですよね。本人は楽かもしれませんが、保護者は自分の感情をコントロールするのと本人のお世話でもの凄く大変です。学業がない園児くらいの頃ならまだ楽かもしれません。

保護者が自分の感情を必死にコントロールしながら本人のお世話をしている間、当の本人はのんびりと過ごすわけですから、ただただ見ているだけしか出来ない保護者側は相当ムカつくと思います。お世話もあって大変ですから疲れもするでしょう。

ですが、どう考えても本人は穏やかになりますよね。保護者からあれこれ言われず、自分がやりたいことだけをやれるのです。癇癪(かんしゃく)なんて起こしませんし、保護者のことを無視したりもしません。好きなことだけをやっているので、本人も楽しく生活するでしょう。

保護者が今現在心の底から求めているのは、こんな穏やかな生活ではありませんか?

でも、穏やかな生活だったとしても、こんな生活をずっと続けるなんて無理だと思いますよね。出来ないって思いますよね。子どものためにもならないとも思いますよね。

続けられなければ、出来なければ、穏やかな生活は望めないのかというと、そうでもありません。

穏やかな生活をどうしても諦められないのであれば、保護者はペアレント・トレーニングを必死に学んで習得して、そして実践してください。本人には自分のことは自分で出来るようになって欲しいと言ってください。大人でも出来ていない人がいることなら、すぐすぐ出来なくても良いし、保護者も手伝うからと。

そして保護者自身と本人の頭に、”出来ないものは出来ない”を叩き込んでください。本人に出来るだけ無理をさせないでください。その上で、本人にとって無理のない範囲内で、自分のことは自分でやらせるようにしてください。どうすれば出来るようになれるかを一緒に考え、今の本人には出来ないことなら、「代わりにやっておくね」と言ってからやってあげてください。

保護者がペアレント・トレーニングを実践しながら本人の心身の健康を守り、犯罪に繋がるようなこと、他人に迷惑を掛けるようなことだけ叱るようにしていれば、本人は周囲の人間たちと違って自分に嫌なことをして来ないどころか、自分のお世話を一生懸命やってくれている保護者のことが大好きになるはずです。

そして保護者に興味を向けた本人は、本来なら自分がやるべきことを保護者にあれこれとやらせていることに気付きます。毎日忙しそうに動き回っている保護者の目の前で寝っ転がってゲームしている自分に気付き、居た堪れないという感情が生まれます。自分の代わりにあれこれと引き受けてくれている保護者がしんどそうにしていることに心を痛めます。

それからなのです。本人の中に自分のことは自分で出来るようにならなければという意欲が生まれるのは。

つまりは時間が掛かります。それこそ早くて10年、遅ければ自立してから必要に迫られて、なんてこともあり得ます。

子どもはコップのようなものだと聞いたことがあるでしょうか。最初は何も入っていない空っぽの状態で生まれて来て、長い時間を掛けて保護者や周囲の人間から愛情を注がれ続け、コップから溢れ出たものがお返しとして周囲へと還っていくのです。人間とはそういう生き物なのです。

ここで言う愛情とは、お世話してあげることも含みますが、本人を出来ることも出来ないことも含めてあるがまま受け止めてあげることです。認めてあげることです。本人が自分を知り、自己肯定感を高めることが出来るような思いやりのある声掛けです。

それなら、”普通”の人でも出来そうですよね。

本人が出来ていないことを、何で出来ないのか、早く出来るようになれと叱るのではなく、どうすれば出来るようになるかを考えてあげてください。今はまだ出来なくても良いよ。自分のペースで出来るようになれば良いからね。それまでは保護者が代わりにやってあげるからとも言ってあげてください。

そうすれば、自己肯定感が上がります。自己肯定感が高ければ、あれこれとチャレンジすることも出来るでしょうし、実際に出来ることが増えるにつれて自信にも繋がっていくでしょう。自分の足でしっかりと人生という道を切り開いていける子になれます。

出来ることは増えたけど何となく不安だったり自分が嫌いだという人は、自分の出来るところだけを認めていて、自分の出来ないところをダメな部分だと否定しているのではないでしょうか。

頭に叩き込んだはずの“出来ないものは出来ない”を今こそ思い出してください。今現在出来ていないのは、詳しいやり方を誰からも教えられていないからです。どうすれば出来るようになるのか教えられていないからです。出来るようになれとしか言われていないからです。あなたは何も悪くないです。

昔と違って今はGoogle先生がいます。調べれば色々と詳しくやり方を教えてくれますし、YouTubeなら動画で分かりやすく教えてくれている人もいます。

大人でもあれこれ出来るようになれますよ。練習前なのですから、今はまだ出来なくて当たり前です。

子育ても一緒です。本人を育てるための教科書を作るために、まずは本人のことに詳しくなってください。どんなことが出来てどんなことが出来ないのか、当の本人も自分の欠点が口に出して言えるくらい自己肯定感が高い状態にしてあげてください。認めてあげてください。

そうしたら、本人のことが詳しく載っている教科書が保護者と本人の中に出来上がります。その教科書があれば、学校でも効率的に学ぶことが出来るでしょう。社会に出ても自分について書かれた教科書が自分の中にあれば、周囲にも自分を知ってもらうことが出来るので不安を感じることはありません。

今はまだ頼りない我が子も自分の力でしっかりと生きていけます。充実した人生を楽しく送ることが出来るようになります。

そのためにもまずは、ペアレント・トレーニングをどんな方法でも構わないので学んでください。

そう言われても何をどうすれば良いのか分からないときは私たちにご連絡ください。私たちも経験者です。子育てを絶賛実践中でまだ全然ジタバタと足掻いている最中ですから、そんな私たちと一緒に互いを支え合って穏やかな生活を目指しましょうね。

理想は理想

今回は、『子どもの将来を決める、学歴より大切な「たった1つの武器」とは?』という記事をご紹介します。

今から約50年前、現在の70代の人は約6割が高校を卒業したら就職という世界で生きていました。そして今から約20年前、現在の30代や40代前半の人は約2割が高校を卒業したら就職、約7割が高校を卒業したら専門学校や短大、大学へ行くという世界でした。

そして現在、高校を卒業したら就職という人は約1割を切っており、高校を卒業したら専門学校や短大、大学へ行くという人が8割を超えています。

時代によってこうも違うのかと実感してもらえたかと思いますが、では現代で大学に行かずに高校を卒業して就職した子や高校にも行けなかった子はダメな子かというと、そんなことは全くないと、力強く全力でハッキリと断言します。

専門学校や短大、大学へ行く人が多いのは、学びたいという強い意欲があり、通うためのお金を用意することが出来、その学んだことで自分一人を賄えるくらいのお金を稼げるようになるためです。

行けないからといってダメな子なわけではありません。むしろ、周囲が皆んな行ってるからと大学まで出してもらったのに、自分の出来ること、得意不得意をしっかりと知ることが出来ず、自分一人ではしんどくて生きていけないという大人はたくさんいます。

その点、何かを全力で頑張ったことがある子は自分を分っています。

高校野球で吐きそうになるくらい自分の体を追い込んだ。胃が痛くなるほど勉強を頑張った。習い事のピアノを泣きながらやった。

保護者も学生の時、自分のしんどさを分かってくれない周囲にイライラしながら、不機嫌をまき散らしながらやっていましたよね。

途中でケガをして続けられなかったとか結果が出なかったとか、悔しい思いをしたという人も多いと思いますが、そこがその時の自分の限界だった、あれ以上にやれと言われても無理だったと誰もが痛いほどに理解させられたはずです。

そうです。吐きそうになる、胃が痛くなる、泣く、イライラする、不機嫌になるというのは限界のサインなのです。

発達にでこぼこのある子も同じです。限界ラインが”普通”の人よりも低過ぎるために、出来ないことや苦手なことだと、少ししかやっていなくてもすぐに限界を迎えてしまいます。

もちろん、発達にでこぼこがあっても年齢と共に出来ることも増えていきますし、実際に出来るようにもなるでしょう。ですが、それと比例するように、やらなきゃいけないこと、出来るようにならないといけないことも増えるのです。

終わりが見えませんよね。出来るようにならなければいけないことがたくさんあり過ぎて、周囲の皆んなに着いていけないのです。

私たち日本人は”普通”の人であろうと日々努力していますが、皆んなが頭に思い浮かべる”普通”の人とは、国語や道徳の教科書に出て来るような、常識を持っていて親切で優しく、誰とでも仲良く出来、何でも解決出来るような人間です。皆んなから素晴らしいと讃えられるような人物です。学校の通知表で言うとオール5の存在です。

そんな存在、身近にそうそういませんし、仮にいたとしても宝くじが当たったくらいの奇跡の存在ですよね。野球の大谷翔平選手や将棋の藤井聡太棋士、東大に行くような人物が同じ教室で学んでいた。隣の席に座っていたくらいの確率です。

私たちが思っている”普通”は本来なら理想と呼ばれるものであり、その理想の人になれているのなら学校の成績は良かったはずです。でも、全ての教科で5を取れていた人なんて滅多におらず、5を取れたことがないという人も多いと思います。

一般的に“普通”とは、通知表でいう3です。5じゃありません。でも、皆んなが最終的に目指すべきなのは5の理想です。

義務教育が何故義務なのか、それは義務教育中に学校で学ぶ内容が人として理想とする姿だからです。

じゃあやっぱり出来るようにならなきゃダメじゃんって思いますよね。でも、大人でも理想とする人間になれていない人が多いのです。子どもがそう簡単に出来るはずもありません。すでにある程度出来ているなら、それはその子が凄いだけなのです。

ですが、苦手だったり出来なくても問題はありません。学校にいる間に出来ていなくても良いのです。

すぐすぐは無理でも、人生が終わるまでの長い長い間に、自分のペースで小学校や中学校の内容を出来るだけ理解出来るようにする、理想とする人間に近付けるようにするという課題であれば何とか出来ると思いませんか?

発達にでこぼこのある子も同じです。学校へ行くのがしんどいのは、学校が年齢によって分けられており、学んだことを理解するのに時間が掛かる子ほど着いていけなくなってしまうからです。どんどん授業の内容が分からなくなります。

勉強は出来るのに学校に行くのはしんどいという子の場合は、周囲の子と自分とが違い過ぎて辛くなってしまうのです。

出来過ぎる子だと、まだまだ未熟な部分もあるでしょうが、ほぼ理想的な大人と変わらない言動をします。周囲が未熟な子ばかりの環境だと、出来る自分の方がおかしいと思ってしまいますよね。

どちらにも共通しますが、学校へ行くのがしんどくてもう無理という状態なのであれば、学校に行かせるべきではありません。

本人の頭の中にはしんどいということしか無く、どうしてしんどいのか、何が原因なのかも分かりません。色んな感情が入り混じってぐちゃぐちゃの状態です。

頭の中がしんどいでいっぱいなので何も考えられませんし、何も出来ません。何かが出来たとしても、いつもよりもずっと低いレベルのモノになるでしょう。

そして、そんなレベルの低いモノしか出来ない自分を見て、何をやっているんだ、こんなんじゃダメだと自分をさらに追い込むのです。

なので取り敢えず、学校に行きたくないという本人の希望は叶えてあげてください。保護者に任せておけば大丈夫という頼りになる存在になってあげてください。保護者は味方だよという姿勢を見せてください。

学校に行かなくても良いんだ、行かなくても大丈夫なんだという状況になれば、自分の気持ちを整理することも出来るようになるでしょう。

学校でどんなことがあったのか、何を嫌だと思ったのか、子どもでは語彙力が無さ過ぎて伝えられない場合もあると思います。

そんな時も、こうかな、ああかな、と本人と一緒に考えてあげてください。本人の話をとことん聞いてあげてください。

最後に、発達にでこぼこがあると分かったご家庭の子は、本人が学生期間を終える頃には家族全員が自分をしっかりと理解していることが多いので、就職には強いと思います。

本人に何が出来るのか、何が好きで、どんなことが得意なのかを見極めて、本人に最適な就職先を見つけたり、本人にピッタリな仕事そのものを創り出す手伝いをしてあげてくださいね。

理想を追い求め過ぎてしんどい時は私たちにご相談ください。無理しても良いことはありませんからね。同じ発達にでこぼこがある子を抱える私たちとおしゃべりしてリラックスしましょうね。

ストレス反応が出てしまった時は

今回は、『強引な誘いに困惑』という記事をご紹介します。

発達にでこぼこがある・ないに関わらず、声の大きい人や体格の良い人、自分よりも上の立場の人から自分の意思とは違うことを言われてストレスを感じたという方は多いと思います。

上司から飲みに誘われた。とても急いでいる時、偶然会った友だちから大声で呼び止められた。自分よりも体格の良い人から好意を向けられた。親から自分の未熟な部分についてあれこれと言われた。

いずれの場合も相手は善意や好意からの行動ですが、自分の意思が相手が求めているものとは違う場合、断ったり対応するには少し勇気が要りますよね。ストレスが掛かります。

自己肯定感が低かったり感受性の強い繊細な子だと、たとえ仲の良いお友だちから一緒に遊ぼうと誘ってもらえていたとしても、本人がその子と遊びたいとは思っていなかったり別なことをしたいと思っている場合、”普通”の人たちが思っている以上に強いストレスを感じてしまうことがあります。

せっかく誘ってくれたのに断ったら相手が嫌な気持ちになるかもしれない。怒るかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。次は誘ってくれなくなるかも。

大切なお友だちであればあるほど断るのが難しくなってしまい、優しい子ほど自分の意思を無視してお友だちの意思を優先させてしまうのです。

自分の意思を無視しているわけですからストレスを感じますが、ちょっと指先を切ったくらいの軽微なものなので、大したことはないだろうとそれも無視をします。ですが、それがどんどん積み重なっていくとどうなるでしょう。

ちょっと指先を切ったくらいのケガが体中に増えていき、優しい子であれば優しい子であるほどケガがまだ治り切っていなくても、痛みを我慢して自らケガを負うのです。

体中がそんなケガだらけの状態だと、ちょっとの刺激でも強い痛みを感じるようになりますよね。痛みで動けなくなりますし、出来るものも出来なくなります。

ケガや骨折などで動けない状態になったことがある人なら分かると思いますが、悪気は無くてもケガをしている所を触られたら当然怒りますよね。何度も痛みを与えて来る人間には止めろと言います。

心の傷も一緒です。

実際、口に出す子もいるでしょう。イヤだ、やりたくない、出来ない、無理だと言葉で訴えたり、泣き出す怒るなどの行動に移せる子もいるでしょう。

問題行動として捉えられてしまうそれらは、耐え切れないほどの痛みを抱えている幼い子が、残った力を振り絞ってこれ以上痛みを与えるのはやめてくれと懸命に訴えているだけなのです。

そして、自己肯定感が低かったり感受性の強い繊細な子は、優し過ぎるがゆえにそれも出来ません。何も言わず、無理に無理を重ねて良い子を演じ、ただひたすらに我慢してしまいます。

止めてくれと言っても変わらず痛めつけて来る人間が身近にいたとしたら、自分の力だけでは痛めつけて来る人間から離れられないとしたら、人は絶望するしかありません。

絶望した人間が次に何をするかなんて、誰もが分かり切っていますよね。

そんな状態になる前に、我が子にストレス反応と言われる症状が出始めたら、まずは本人の話をよく聞いてあげてください。元凶が明らかなのであれば、それを排除するために動いてください。

そして、本人が抱えている生活に関するものを出来るだけ保護者が引き受けてあげてください。

心に負った傷を治す方法は、体の傷を治す方法とそれほど変わりありません。あまり動かないよう安静にしてよく眠り、栄養のあるものを食べて、傷が治るまで自分にとって健やかな状態を保つこと。

体に負った傷は見えますが、心の傷は見えないため、ストレス反応が出ている状態を軽く見てしまいがちですが、”普通”の人がストレス反応が出るくらいの体の傷と同じだと思えば分かりやすいのではないでしょうか。

ストレス反応が出るくらいの体の傷というと、下手すれば交通事故で入院している患者さんレベルです。とりあえず確実に足を骨折くらいはしてます。

そんな人間に動けなんて言えませんよね。足を骨折している本人が動こうとしようものなら、何やってるんだって怒りますよね。足が治るまでは動くな安静にしておけと言うのではないでしょうか。トイレやお風呂以外は動かなくて済むよう身の回りのお世話だってしますよね。

ストレス反応が出ている子には、それくらいの勢いで対応しなければもっと酷くなってしまうのです。

徹底的に安静にして、本人の表情が明るくなったりあれこれと動けるようになって来たら、次はリハビリの時間です。

心の傷は再発しやすいです。ストレス反応が無くなったといっても、剥き出しだった傷にかさぶたが出来たくらいのものです。同じ場所にまた傷を負えばあっさりと元の傷が開きますし、全ての傷が完全に治るまでにはかなりの時間がかかります。

なので、ストレス反応が無くなったからといってすぐ元の状態に戻すのではなく、ストレス反応が出ないような範囲内で出来ることを少しずつ少しずつ増やしていくようにします。これがリハビリです。

同時に、どんなことが自分にとって心の傷になってしまうのかを知り、新たに傷を負っただろう時には、ストレス反応が出ていなくても安静にするという予防的な措置も取れるよう訓練します。

そうこうしているうちに剥き出しだった心の傷も塞がっていくと思いますが、塞がった傷は歪ではありますが強くなっています。いっぱい傷付いたからこそ、同じような傷を持つ人に対して優しくもなれるでしょう。

我が子がそんな大人になれるよう、保護者はただただ本人の身の回りのお世話と、本人の話を聞いてあげてください。どうすれば良いのか考えてあげてください。

本人にストレス反応が出てしまうと保護者も大変だと思います。保護者にもストレス反応が出てしまった時は、家事は最低限にして自分の体を労ってあげてください。本人と一緒にのんびりしてください。

本人や保護者のストレス反応がなかなか消えてくれない時は私たちにご相談ください。色々と溜め込んでいるものを我慢して吐き出さないのもストレスになりますからね。似たような悩みを抱える私たちがお待ちしております。

余裕を作り出そう

今回は、『「子育て」で精神的に余裕がなくなった どうすればよい? 保育士が解説』という記事をご紹介します。

そもそも論ですが、現代人は圧倒的に時間が足りません。

働き方改革で残業の制限がされているのにも関わらず、仕事の量は以前と変わっていない。しかも常に人手不足。テレビ以外のコンテンツが増え、それを見ていると時間があっという間に過ぎてしまう。SNS等でいつでもどこでも誰とでも繋がれてしまうので、たまの休みも時間を取られてしまうことがある。

子どもがいなかったとしてもこの状態なのです。子どもがいてまだ手が掛かるのなら、なおのこと時間が失われてしまいますよね。

発達にでこぼこがある子だと、この「手が掛かる」状態が長く続いてしまいがち。

子どもが大きくなるにつれて楽になるはずなのに、長く続く「手が掛かる」状態に、保護者がしんどくなってしまうのも仕方がないことだと思います。

本人も、そんな保護者の状態を何となく分かっているものの、自分ではどうしようもない状態のため、”出来ない”自分を責めて深く深く落ち込んだり、体に不調が現れたり、感情が爆発して泣き喚いたり、周囲に当たり散らすなどのトラブルを引き起こしてしまいます。

そして、その対応に追われる保護者もさらにしんどい状態に追い詰められてしまうという悪循環に陥ってしまうのです。

では、この悪循環を断ち切るためにはどうすれば良いのでしょう。

そもそも、子どもが生まれたばかりの頃の方が今よりももっと手が掛かっていたと思いますが、まだ余裕があった気がしませんか。育児のために仕事を休んでいたり、周囲の手助けもあったとは思いますが、気持ち的な余裕も今より大きかった気がしませんか。

それは、赤ちゃんに手が掛かるのは当たり前であり、保護者である自分がやって当然だと思っていたからではないでしょうか。何も出来ないのは当たり前だと思っていたからではないでしょうか。

本人の身体が大きくなってきて、同年代の子たちが”出来る”ようになってくると、本人もあれこれと”出来る”はずなのにやらないのは、面倒なことを避けて怠けているだけなのではと疑うようになり、保護者側に”やらされている”、”押し付けられている”感が強くなるので余計にストレスが掛かるのです。

ですが、発達にでこぼこのある子は出来ないものは出来ないのです。出来たとしても相当疲れるのです。無理して続けていたら、気分の落ち込み、体の不調、イライラの爆発、モノや人にあたるなどがどんどん酷くなり、最後には心身が壊れてしまうのです。

やらないのも怠けているように見えるのも、スマホばかり見ていてゴロゴロしているのも、疲れが溜まってギリギリのところにいる自分が、これ以上疲れるようなことはしないよう無意識に自分の身を守っているだけなのです。

そう考えたら“出来る”ようになれなんて言えないですよね。本人の心身が壊れてしまったら、本人はいよいよ何も出来なくなってしまいます。今”出来る”ことも”出来ない”状態になってしまいます。

そうなれば、本人も保護者も今よりももっと大変な状態になってしまうのです。それは絶対に避けなければなりません。

なので、楽をしてください。本人のため、家族のため、何より自分のために徹底的に楽をしてください。楽をするためにはどうすれば良いのか考えてください。

私たち保護者世代は苦労することこそ美徳という考え方で育って来ました。何事もしっかり丁寧にキッチリやる。親や祖父母、先生に至るまで大人という大人から、それが”普通”だ、そういうモノだと教えられて育てられて来たからです。

ですが今、苦労している人たちよりも楽をしている人たちの方が楽しそうに生活していると思いませんか。しっかり丁寧にキッチリと物事をこなそうとしている自分はこんなに苦しいのに辛いのに、超が付くほどテキトーな人たちの方が人生を楽しんでいるように見えると思いませんか。

それは、あなたが苦労してでもしっかり丁寧にキッチリやるようにと誰かから言われたことを真面目に守ろうとしているからなのだろうと思います。子どもにも真面目な人になって欲しいと思っているからなのだろうと思います。エライです。よく頑張ってます。

でもそれは、子どもやあなたの心身の健康を害してまで、疲れてヘトヘトになるまで、家族にイライラを振りまいてまでやらなくてはならないモノではないのですよ。命にかえても、人生を犠牲にしてでも守らなければならないモノではないのです。

たとえば、まだ小学生くらいの子どもがAさんから毎日ランニング100キロ(川南駅から延岡駅までを往復する距離です)をやれと強要されている場面に出くわしたとします。

運動は大事ですが、毎日100キロのランニングは大人でも無理な課題です。Aは子どもに向かって何を言ってるんだって思いますよね。最初は短い距離から始めて少しずつ距離を伸ばすべきだし、それでも体力の限界や能力の限界というものはあるだろう。無理させるなんて子どもの未来を潰す気かって思いますよね。

それは本人にも保護者自身に対しても同じことが言えるのです。

でも、まだ子どもの本人はともかく、保護者は大人なんだし出来て当たり前じゃないかという意識が働くと思いますが、大人だから何だと言うのでしょう。

毎日100キロのランニングなんて、運動が大好きで身体能力に恵まれたアスリートでもなければ大人でも難しいですよね。苦手なことや出来ないことを無理矢理出来る状態にしたとしても、もの凄く疲れるのです。コスパ最悪ですし、そんな無理を続けていればいつか必ず心身が壊れます。

心身が壊れそうなほどの苦労を本人にも自分にも背負わせないでください。本人や自分に優しくしてください。自分の苦手なことや出来ないことを、”普通”に”出来る”人と同じようにやろうとしてもしんどいのです。毎日100キロのランニングと同じです。

だからと言って、他人に迷惑を掛けるようないい加減な人間になれと言っているわけではありません。今しんどいなら、まずは他人に迷惑を掛けないプライベートな部分をガッツリ手抜きしましょう。知恵を働かせて、掛けるお金は最小限に抑えつつ上手に手抜きする方法を編み出しましょう。

徹底的に手抜きしまくってもしんどさが解消されず、誰かに迷惑を掛けそうな時は、迷惑を掛けるかもしれないと事前にお知らせしておけば大丈夫。自分に出来ることをして、その誰かの手助けを普段から積極的にしていれば、たまの迷惑なんて何とも思われません。

むしろ、いつもお世話になっている人へ恩返しが出来ると喜んで引き受けてくれるでしょう。頼ってくれて嬉しいと思ってくれるはず。

周囲から迷惑だと思われてしまうのは、”出来ない”自分を認めずに自分で自分を追い詰めて疲れ果て、自分に”出来る”ことすら出来なくなり、それでも大人なんだから自分で何でも”出来る”ようにならなければと誰にも頼ろうとはせず、精神的に不安定でいつも誰かに迷惑を掛けている状態になったり、ある日突然取り返しが付かないくらい大きな迷惑を周囲に掛けてしまうような人です。

そうなる前に、自分の苦手なことや自分では無理そうなことは最低限でヨシとするか、出来る人や得意そうな人にお願いしてください。頼って下さい。

人は一人では生きていけません。自分に”出来る”ことを引き受けることで、互いに苦手なことや”出来ない”ことを補い合い、助け合って生活しているのです。人間社会とはそういう仕組みなのです。福祉制度もそうです。

超テキトーな人たちが仲間とワイワイ楽しく生活しているように見えるのは、自分では無理そうだと思ったことは無理をせず、困った時は仲間を頼り、互いに”出来る”ことをやって補いながら生活しているからなのです。

もちろん、毎回頼られたり何でもかんでも頼られるのは負担が大きくなるので迷惑ですが、たまに頼られるのは迷惑ではありません。頼られた側も自分に”出来る”ことをやって感謝されるのは嬉しいことでもあります。

どんな厄介ごとも、それに見合った報酬ありなら仕事として引き受けるので迷惑だなんて思いもしません。誰かに迷惑を掛けてしまっても、迷惑を掛けたお詫びとしてお高めな品物などを用意すれば、こんなにお高い品物を貰ってしまってむしろ申し訳ないとまで思ってくれるでしょう。

報酬もお高い品物も用意出来ないのであれば、自分に”出来る”範囲内の生活をして、自分では難しかったり”出来ない”ことは、手に負えない状態になる前に、誰かに迷惑を掛ける前に助けを求めるべきなのです。

普段から自分に”出来る”ことをやって周囲に迷惑をかけないようにしていたなら、突然発生したトラブルや病気の時は、お互い様だからと誰かが必ず手助けしてくれますが、それは大変だということが誰から見ても分かりやすいからです。

それと同じく、あなたが大変な時にしんどいですと声を上げてくれたなら、助けてくれる人はきっといます。でも、声を上げてくれなければ気付けませんし、大変そうだと気付いていても助け舟を出すのは余計なお節介かもしれないと二の足を踏んでしまうのです。

しっかり丁寧にキッチリを今まで頑張ってきたあなたなら、しんどいと声に出すことも、誰にも迷惑を掛けずに楽することもきっと出来ます。

本人と保護者自身の環境を最適に整えてください。全ての物事をしっかり丁寧にキッチリ出来るようにすることではなく、手を抜いて大丈夫なところは徹底的に手を抜き、本人と自分が楽することにこそ命を掛けてください。

楽が出来るようになってきたら、余裕も生まれるはずです。

その生まれた余裕で、まだ年若い本人が背負っている大変そうなモノを少しでも肩代わりして、人生という苦難な道を楽に歩くにはどうすれば良いのかを教えてあげてくださいね。

なかなか楽にならないという時は私たちにご相談ください。切羽詰まっている時は良いアイデアも浮かばないものです。楽をするためにはどうすれば良いのか、私たちが持っている知恵も是非とも活用してください。

背景を知ろう

今回は、『【あなたは大丈夫?】感情コントロールできない人の5つの特徴を解説』という記事をご紹介します。

発達にでこぼこがある・ないに関わらず、子どもを育てているとついついイライラしてしまいがちです。発達にでこぼこがある子なら、その特性をなかなか理解出来ないことから尚更イライラしてしまいますよね。

何で出来ないんだ。どうしてこんなことをするんだ。この年齢ならこれくらいのことは出来るだろう。と思ってしまっていますよね。

イライラする現状をどうにかしたい、と思っているのなら、本人のためではなく保護者自身のため、まず最初に上記のような考えを捨て、「出来ないものは出来ない」を頭に叩き込んでください。

保護者自身も何でも”出来る”人間ではないはずです。何かしら苦手なことや”出来ない”こと、”出来る”けれど疲れるから嫌だということは絶対にあるはず。そして、十数年という年月を掛けて何とか人並みに”出来る”ようになってきたモノもあるはず。

でも自分が”出来る”んだから、自分の子も出来るはず。と思ってしまっていますよね。

たとえ親子であっても別個の人間です。二人の間に生まれた子なのですから、二人がそれぞれ持っている膨大な遺伝子情報の中からランダムに抽出された遺伝子の組み合わせで本人は出来上がっているのです。

自分たち家族と顔や体格、性格、性質などが似通うことはあっても、全く同じには絶対になりません。どれほど似ているという家族であっても、一卵性の双子であったとしても別個の人間なのです。

隠し持っていた遺伝子が出現したり、それほど濃くはなかった遺伝子が色濃く出てしまったりすることもあるでしょう。自分が”出来る”ことを、子どもがほとんど引き継がない可能性だって0ではありません。この辺り、中学校の理科で習いましたよね。懐かしい。

つまり、本人に悪いところなんて何一つ無いのです。本人はただ、二人の膨大な遺伝子の中からランダムに選ばれた特性を持って生まれてきただけなのです。

本人が自分自身でどうにか出来るレベルなら、とっくの昔に多少なりとも出来るようになっているはずです。周囲に何で出来ないんだと責め立てられ、同じ年頃の子は出来る子ばかりで本人も出来るようになりたいと強く思っているはずです。でも、どうやっても出来ないのです。どうすれば出来るようになるのか分からないのです。

自分では理解出来ず、こうすれば良いと誰も教えてくれていないモノを出来るようになれと言われても、”出来る”ようになるはずがありません。

宇宙ロケットを目の前に置かれて、何のノウハウもツテもなく設計図すら無い状態で自分一人で同じものを作れと言われているようなものです。しかも、周囲には簡単に宇宙ロケットを作ってみせる人しかいないのです。その上、何で作れないのかと責められているのです。

無茶言うなよって思いますよね。周囲には”出来る”人ばかりで”出来ない”自分が嫌になるでしょうし、無理難題を言ってくる周囲に怒りも湧くでしょう。自分が困っていることを理解してくれない周囲に憤りや虚しさ、孤独感や悲壮感も感じるはず。

発達にでこぼこがある子が自己肯定感が低くなりやすいのも、すぐキレたり自傷や他傷が多くなるのも、こういう環境にいるからだと思えば納得出来ますよね。

それなら、保護者として出来ることは、”出来ない”ことを責めることではなく、どうすれば”出来る”ようになるか一緒に考えてあげることではないでしょうか。心身ともに健康で罪を犯さず、一人でも生きていけるよう教え導くことではないでしょうか。

その為にもまずは我が子について詳しくなってください。基準を自分の幼少期にするのではなく、本人と同じ年齢の”普通”の子にするのでもなく、目の前にいる本人に合わせてください。等身大の、保護者から見たそのままの本人を事細かく観察して詳しくなってください。

そして、こうなんじゃないかという推測でも構わないので、分かったことを本人に話してみてください。

何が好きなのか、何が嫌なのか、どういう時に嫌だと感じているのか、どういう状態を好むのか。

保護者が感じたことを本人に伝えることは、本人が自分の特性を知っていくことにも繋がります。

周囲とのズレが大きそうだなと思ったことは、本人にもそれを伝えてください。持って生まれた特性であって、あなたは悪くないんだよという一言を添えるのを忘れずに。

そして、周囲とのズレを少なくするにはどうすれば良いのか本人と一緒に考えてください。大人の知恵を貸してあげてください。あれこれと試すのに付き合ってあげてください。

そうしたら、ほんの少しでも”出来る”ようになって来たらもの凄く嬉しいはずです。本人と”出来る”喜びを共有出来るはずです。

本人が抱えている事情は、本人を表面でしか見ていない間は見えてきません。同じ年頃の子との違いや、表に出て来ているトラブル、一般的には理解出来ない本人の行動から、「実はこうなのではないか」と推測して初めて見えて来るようになるのです。

名探偵コナンのコナンくんのように、保護者が持っている様々な知識と知恵で本人がどういうことで困っているのかを推察してあげてくださいね。

自分ではなかなか推察出来ない、分からないという場合は専門家に相談するのが一番です。専門的に学んだ知識と長年の実務経験からトラブルの原因を突き止めてくれますし、どうすれば良いかの解決策も提示してくれます。保護者では難しいという場合は代わりに指導もしてくれるでしょう。

どうやって専門家に相談すれば良いか分からない時や、何から始めたら良いのか、どうすれば良いのか分からない時は私たちにご相談ください。似たような経験を持つ私たちが、あなたの不安や疑問に一つ一つお応えします。

継続は力なり

今回は、『「1日1捨」をルーティンに!毎日たった3分で、家からモノが劇的に減ります』という記事をご紹介します。

発達にでこぼこがある・ないに関わらず片付けが苦手だという人は多いです。

“片付ける”というたった一言の中に、たくさんの面倒くさい工程が含まれていることに気付いていない人が多いからだろうと思います。

最終的に片付けられた状態、ではなく、最初から片付けられた状態を目標とするので、それまでの間に立ち塞がる様々な”面倒くさい”を続けられずに途中で挫折してしまうのです。

人は面倒だなと思ったことは後回しにしがちです。手軽で簡単にやれそうなことを優先してやろうとします。

それなら、片付けも手軽で簡単に出来そうなところまで細分化して、”出来る”ことをコツコツと続ける事で片付けられるようにしてしまいましょう。

まず、そもそもの話から始めますが、人は何故片付けをしなければならないのでしょうか。

片付いていなかったとしても問題なく生活出来ていれば、片付けなくても済むはずです。

それなのに、私たち人間は生活スペースを片付けなくてはいけない、普段から綺麗にしておかなければと思っています。それは何故でしょう。

片付いていなければ、足の踏み場が無くなります。足の踏み場が無ければ、常に何かを踏みながら移動しなければなりません。

お洋服やクッションなど柔らかいものだけなら、踏んでも怪我をしたりすることはないでしょうが、足に引っ掛かってコケてしまう可能性は高くなります。コケて怪我をしてしまったら、痛い思いをするのは自分ですし、怪我の手当てをするのも自分です。

コケ方が悪くて足を骨折してしまったなんてことになったら最悪ですが、それで思うように動けなくなるのも自分ですし、治療費を出すのも自分です。そして、そんな事態を招いたのは誰かというと、これまた自分なのです。

家にあるはずの物が見つからず、仕方無く買って来た途端に探し物が見つかるなんてことも良くあることですが、この事態を招いたのも片付けていない自分です。

お風呂場の掃除を面倒くさいと後回しにした結果、黒カビが発生し、それを日常的に吸い込むことで咳が止まらなくなったという事態を招くのも自分です。

もうお気付きだと思いますが、面倒だからという理由でやっていなかった片付けのせいで、あれこれと余計に面倒な事態を引き起こしてしまっているけれど、その根源は片付けていなかった自分という”自分で自分を痛め付けている”構図になってしまっています。

自己肯定感が下がる要因ともなる”自分で自分を痛め付けている”構図、これを続けていても楽しく生活出来ているのなら問題ありませんが、しんどい状態なら続けるのは絶対にダメです。何とかしなければならない部分です。

では、この構図を変えるにはどうすれば良いかというと、普段から生活スペースを片付けて綺麗にしておく、に行き着くのではないでしょうか。

つまり、私たち人間が大昔から続けていて、今も学校の先生や大人たちからやれと言われているモノにはちゃんと理由があるのです。

では、片付けが”出来る”ようになるにはどうすれば良いのでしょう。

まずは多過ぎる片付けの工程から、「必要のないモノを1つ選んで捨てる」という作業だけを”毎日”出来るように訓練します。

それだけだと簡単過ぎるだろう、もっとやった方が良いんじゃないかと思われるかもしれませんが、今現在片付けが出来ていない人にとっては、こんなに手軽で簡単な作業でも”毎日”という時点でかなり難易度が上がります。

数日で飽きたり面倒だと思ったり忘れたりして続けられなくなるのです。

が、その事に気付いてまた再開すれば問題はありません。完全に止めてしまわなければ、再開までに1週間開いてようが1ヶ月開いていようが”続けている”になるのです。

何故片付けなければいけないのかを理解し、片付けないことによるデメリットを実感していれば、片付けなければという意識が働くので何度でも再開出来るはずです。

「必要のないモノを1つ選んで捨てる」を続けていたら、ついでに2つ3つ捨てることも出来るでしょうし、大モノに挑戦することも出来るようになるかもしれません。もしかしたら、必要のないモノが見つからないなんて事態にもなるかもしれません。

「必要のないモノを1つ選んで捨てる」が、毎日の歯磨きくらい当たり前のように出来るようになってきたら、ここでやっと次の段階です。

次は、「必要のないモノを1つ選んで捨てる」を続けつつ、「モノを1つ適切な場所へ移動させる」を”毎日”続けます。床に落ちている洗濯物を洗濯カゴへ持っていくとか、出しっ放しのハサミを元の場所に戻すとかですね。

これも”毎日”続けるのは大変なので、”続けている”状態を保つことを目標とします。なので、途中で止まってしまっても余裕がある時に再開すれば大丈夫。

この「必要のないモノを1つ選んで捨てる」と「モノを1つ適切な場所へ移動させる」を続けていると、自然と生活スペースがある程度片付いた状態が出来上がってくるはずです。

一気に片付けるのは無理でも、このように時間をかけて訓練していけば「片付けが出来る」人にはなれるのです。大人でも今からでも「片付けが出来る」人になれます。

ただ注意点が1つ。

止まってしまった時に自分を責めないでください。止まってしまったのにはちゃんと理由があります。出来なかったのには理由があります。

自分が疲れている事に気付いていなかったから、心と身体が無意識にストップを掛けたのです。簡単なことすら後回しにするくらい疲れているんだよという心と身体からのサインです。ありがたいお知らせです。

すべきことは、出来なかった自分を責めることではありません。自分を甘やかして好きなことをしたり良く眠って休んだりしてエネルギーをチャージすることです。

そうやってまた再開出来ればそれで良いのです。完全に止めてしまわなければ”続けている”状態になれるのですから、無理はせず、自分に余裕が出来た時に再開してください。

そして、再開出来た時は、そんな自分を思いっきり褒めてあげてくださいね。

なかなか再開出来ない時は、私たちにご相談ください。再開出来ない原因は何なのか、それを取り除くためにはどうすれば良いのか、私たちと話す事で少しは考えがまとまるかもしれません。

自分に優しく

今回は、『「電話が怖い」若者たちの悩み かけるのも受けるのも… 「失敗するかもと不安」「迷惑になりそうで」』という記事をご紹介します。

発達にでこぼこがある・ないに関わらず、電話が苦手だという人は多いです。

若い人やコミュニケーション能力に自信が無い人ほど、その傾向が強いのではないでしょうか。

電話が苦手でも何とかなる世の中ではありますが、社会人になった時のためにも電話対応への苦手意識は何とかしておきたいところ。

そもそも、何故電話が苦手だと感じるのでしょう。

相手の表情が見えない。声という聴覚からのみの情報を取り入れつつ、様々な判断を自分一人でしなければならない。知らない電話番号からの電話だと、0の状態から相手の情報収集をしなければならない。相手の状態が分からないので、都合が悪いタイミングだと掛け直しになったり拒否られてしまう。

この他にも様々な理由があると思いますが、要するに”あまりやったことがないから”に尽きるのではないでしょうか。しっかりとした電話対応のマニュアルがあまりなく、経験の中で臨機応変に学んでいくしかないのが電話対応を苦手と感じる要因なのかもしれません。

そして、あまりやったことがないことをやった時に限ってトラブルが発生するという”あるある”な経験を何度かした結果、電話が苦手な人が出来上がってしまうというワケです。

苦手だという意識があると失敗したらどうしようと緊張しますし、電話対応で怒られた経験があれば萎縮もします。相手の話を聞きながらメモを取るなど、2つのことを同時にするのが苦手なら電話の要件を聞き取ることも難しいでしょうし、そもそも電話の相手が誰なのかさえ分からなくなってしまう可能性だってあります。

そんな状態になってしまっている人に、電話が苦手なのは”あまりやったことがないから”だとは言いづらいですよね。慣れるまでやれとは言えないはず。

では、どうすれば電話対応が出来るようになるのでしょう。

そもそも、現代では電話を使うこと自体があまりありません。

家族でさえLINEやメールなどでやり取りすることが多く、電話をかけたことすら片手で足りるという子は少なくないのです。

そう考えると、LINE電話などでお友だちといつまでも話しているという子や、オンラインゲームで知らない人と通話しながらゲームしているような子は、電話対応の基本ルールや社会人としての言葉遣いさえ覚えてしまえば、電話対応はスムーズに出来てしまうのかもしれません。

電話の相手が家族であれば問題なく受け答え出来る、という場合なら、電話の相手を少しずつ慣れていない人に広げていくことで電話対応が”出来る”状態になっていくはずですが、家族でさえ電話は難しく感じるという場合は、電話自体に慣れるところから始めなければなりません。

相手が機械であれば大丈夫そう、という場合は、時報や天気予報の電話サービスに掛けてみることから始め、家族の目の前で家族に掛ける、隣の部屋にいる家族に掛ける、外出中の家族に掛けるの順で電話に慣れていきます。

電話をかけることや受けることには慣れたけれど、相手から言われたことをメモしたり覚えるのは難しいという場合は、誰からの電話なのか、誰宛の電話なのか、どういう要件なのかだけを書けるようなメモを事前に作っておくなどの対処方法を考える必要があります。

この辺りは人によって異なるので、電話対応の何が苦手なのかを知り、どうすればそれを解消出来るのか試行錯誤していくしかありません。

一番よろしくないのは、苦手なことを苦手だと自覚しないまま出来るようになるまで(という曖昧な目標に向かって)無理して頑張ってしまうこと。

小さいうちから自分が何が苦手なのかを知り、それを解消するにはどうすれば良いのか対処方法を知ることで、社会人になった頃には電話対応もある程度は出来るようになるでしょう。

自分で“出来る”を増やすことは、自己肯定感を上げることにも繋がります。そして、意外かもしれませんが、自分では”出来ない”を知ることも自己肯定感を上げるのです。

自分には電話対応はどうしても難しい、ということを知っているのなら、その業務から外してもらうことも出来るでしょうし、外してもらえなくても電話は苦手だと周囲に伝えていれば代わってくれる人もいるでしょう。

“出来ない”ことを認めることそのものよりも、自分では”出来ない”ことを繰り返し何度もやって”出来ない”を味わうことこそが、自己肯定感を下げてしまう要因となるのです。

人は無自覚に自分に厳しくしがちです。何で出来ないんだと自分に対して常に思っています。あれもこれも出来て当たり前だと思っているので、あれも出来ていないこれも出来ていないと思ってしまいがち。

自分で自分の自己肯定感を下げないためにも、“出来ない”ことは”出来ない”と認め、”出来ない”ことは無理をせず、”出来る”ところまでレベルを落とすか、”出来る”人や機械にお願いしてください。自分に対して優しくしてください。

自分を甘やかしたら良くないのではと思っている間は大丈夫。厳しいだけじゃ人は成長出来ませんからね。意識して自分に優しくするくらいでちょうど良いのです。

自己肯定感が上がってきたら、甘やかしたら良くないなんて思わなくなります。何で出来ないんだなんてセリフも出てこなくなります。

“出来ない”ことは”出来ない”んだからしょうがないよねって思い始めます。”出来る”ことをやるしかないよねって思い始めます。”出来る”ことだけをやっているので、調子に乗って自分は天才かなって思い始めます。最低限でも苦手なことをやったなら、そんな自分を褒めまくります。

それじゃダメじゃんと思われるかもしれませんが、自己肯定感の高い人はそうなのです。そうやって楽しく”出来る”ことをやって人生を満喫しているのです。苦手なこともこなしているのです。

“出来る”ことだけをバリバリやり、”出来ない”ことは最低限にこなしている自己肯定感の高い人は、周囲から見ると”出来る”人です。楽に人生を送っているように見える人です。

でも、自分に”出来る”ことをしているだけなのです。頑張っていないだけ。楽をしているだけなのです。

楽をするのはダメだと思うかもしれませんが、“出来ない”ことをヘトヘトになるまで頑張って”出来る”ように振る舞って疲れ果て、本来なら簡単に”出来る”ことすら出来なくなるよりは、そちらの方が良いと思いませんか。

“出来ない”ことは頑張らなくて良いのです。自分で自分をいじめる必要はないのです。自分こそ自分の一番の味方でいてあげてください。”出来ない”自分を認めてあげてください。

本人だけでなく、保護者自身も自分に厳しくしがちなはずなので、本人と一緒に保護者も自分をたっぷりと甘やかしてくださいね。

どうしても自分自身が認められない時は私たちにご相談ください。赤の他人に話すことで客観的に自分を見つめることが出来るかもしれませんし、私たちの話が何かのキッカケになるかもしれません。

ストレス耐性を身に付けるには

今回は、『どんなストレスにも強い「なんとかなる力」を持っているのはどんな人?』という記事をご紹介します。

発達にでこぼこがある・ないに関わらず、ストレスに弱いという人は多いです。

すぐに疲れてしまう、頑張れない、いつまでも落ち込んでしまう、日常的にイライラしている、暴力的になるなど、ストレスが引き起こす事象は私たち人間にとってなかなか厄介なモノばかり。

発達にでこぼこのある子は、その脳の特性により日常的に強いストレスが掛かっている状態であることが多く、ストレスに対処する力を身に付けることは最重要課題とも言えます。

ストレスに対処出来ないということは、そう遠くないうちに精神的に病んでしまう可能性が非常に高くなってしまうからです。

人間は、自分で対処出来る状態ならストレスを感じることはありません。

ご飯を食べることにストレスを感じる人はいないでしょうし、眠ることにストレスを感じる人もいないでしょう。毎日が自分にとって気楽な状態、対処”出来る”状態であるならストレスを感じることはないはず。

食べられない、眠れない、災害などで毎日が非日常になったなど、自分の欲求を制限されたり、感情の揺れが発生したり、様々なことが”出来ない”状態の時に人間はストレスを感じるのです。

では、”ストレスに対処する”とは具体的にどうすれば良いのでしょう。

欲求の制限に関しては、本人の心身の健康に影響があること、法を犯すようなこと、他人に迷惑を掛けるようなことだけに留めておけば充分なはずなので、可能な限り本人の欲求や行動を制限しないようにすることでストレスは軽減されます。

“出来ない”は、本人が簡単に出来るところまで”出来る”基準を下げたり、周囲がサポートすることで対処可能になりますが、感情の揺れに関しては周囲がコントロール出来るものでもないので、本人が自分でコントロール出来るように自覚を促していくしかありません。

そこでまず最初に、本人が抱えているネガティブなモノやコトを具体的に洗い出してください。

何となく嫌だとか何となく苦手という表現をしがちですが、どうして嫌だと感じるのか、どの部分が嫌なのか、どういうタイミングでその感情が出てくるのかを深く深く探ってください。

ただ、本人が自力で自分を探るのは限界があるので、ここは身近にいる保護者の観察力が鍵です。

例えば体調に関して、学童期にお腹が痛いと訴える子は多いと思いますが、それはどんな時なのかを考えたことはあるでしょうか。

もちろん、真っ先にウイルス性やその他の病気を疑うべきですが、同じ物を食べている家族は何ともない、痛くて動けないほどではない、短期間で治まったのであれば、ストレスによる自律神経の乱れが腹痛の原因ではないかとも疑ってください。

あらゆる可能性は残しつつ、何かがストレスになっているのかもしれないと原因を探ることになると思いますが、ここで一つ問題が生じます。

腹痛の原因が本当にストレスだったとしても、ストレスを感じている本人自身が、何に対してストレスを感じているのか自覚が無いことが多いのです。聞いても分かんないって言います。

さぁ、ここからが大変です。本人ですら分からないモノを第三者である保護者が探るのです。校庭の中からストレスの原因と書かれた小石を見つけ出すようなものです。超ムズイ。

でも、ピンポイントで小石を見つけなければいけないわけではありません。この辺りに原因があると知ることが目的なので、だいたいで充分です。アタリをつけて絞り込んでいきましょう。

まず最初に、その腹痛はストレスが原因かもしれないことを本人に伝えてください。そして、ストレスだとしたら原因となるモノやコトがあったはずだと本人自身にも原因を探るよう伝えます。

保護者が一人で探すより、本人と一緒に探した方がきっと早く見つかりますからね。

そして保護者は、本人が腹痛を起こすタイミングをまずは見極めてください。

本人がお腹が痛いと訴えて来た日時を記録し、その前後にあった出来事を本人から聞き出して原因を探っていきます。

体育でとび箱があった。

算数とか国語の授業があった。

お友だちと遊んだ。

子どもの話を聞いていると、取り止めのない話ばかりで意味があるのかと思ってしまうかもしれません。こんな話ばかりではストレスの原因なんて分かるはずがないと思われるかもしれません。

でも、子どもの取り止めのない話の中にこそヒントは隠されているのです。

きちんと記録していると気付くと思いますが、お腹が痛くなった前後の出来事の中に共通する事項が必ず出て来ます。

例として「お友だちと遊んだ」を挙げますが、これ以外の事項の可能性もありますし、複数の可能性もあります。季節や天候なんていう人間ではどうしようもないモノの可能性だってあります。

ですが、まずは1個。最も可能性の高い事項にアタリを付けます。

お友だちと遊んだ時に何かなかったか聞き取りをし、何かあったとしたらそれが原因の可能性、何もなかったとしたら原因は他にあるか、本人の中にある可能性があります。

お友だちと遊ぶことが楽し過ぎたため、その反動が翌日に来た。かもしれませんし、お友だちと遊ぶことは楽しいけれど疲れもするため、その反動が翌日に来た。のかもしれません。

もしかすると、お友だちと遊ぶのはあまり楽しくないけれど、それをお友だちに言い出せていない。の可能性もあります。

間違っていても良いので、どれが近いか本人に訊ねてみてください。他にも色々と選択肢を提示してください。

自分の感情を考える、という行為が大事で、自分が物事に対してどう思っているのか、どう感じているのかを知ることこそが、ストレスに対処する第一歩となるのです。

例えば、お友だちと遊ぶことは楽しいけれど疲れもする、が近いという答えが本人から返ってきた場合は、”疲れる”のは何故なのかをさらに考えさせます。保護者と一緒に考える、でも良いです。

そうやって深く深く自分を知っていくという作業を繰り返していくと、自分がどういう時にストレスを感じるのかだんだんと分かるようになってきます。

そうなれば、ストレスに対処出来るようになるまであと少しです。

自分がストレスを感じそうな状況が来ると分かっていれば事前に心の準備が出来ますし、強いストレスが掛かったと自覚があれば、自分で自分の心のケアが出来るようにもなります。自分の心の状態を客観的に観察しながら、自分の”出来る”ことと照らし合わせ、無理しないようにすることも可能でしょう。

ここまで出来るようになれば、どんなストレスにも対処出来る「ストレスに強い人」の完成です。

もちろん、生まれつきストレスに耐性がある人もいますが、ストレスに耐性があるからといって何もしなければ、耐えられないほどのストレスが訪れた時にポッキリと折れてしまいかねません。

そうならないためにも、ストレスに対処する力は誰もが身に付けておいた方が良いモノです。大丈夫。今からでも身に付けられます。

本人だけでなく、保護者も改めて自分にとって何がストレスになっているのかを確認することで精神的に安定しますし、保護者の精神的な安定は本人の安定にも繋がります。

自分を知りましょう。何を嫌だと感じるのか、しんどいのは何故なのか探りましょう。

昔のことを思い出して辛いかもしれません。等身大の自分を直視するのはキツイかもしれません。

でも、少しずつで構いません。1個ずつで大丈夫です。

自分を知り、自分の状態を把握し、自分自身を大事にすることで自己肯定感も上がりますし、それらはきっと最終的には精神的な安定に繋がります。穏やかな日常に繋がります。

そんな穏やかな日常を得るため、1つずつ1歩ずつ”出来る”をコツコツと増やしていってください。そんなあなたを私たちは応援しています。

溜まってしまったストレスを発散するためには誰かに悩みを聞いてもらうのも手です。似たような悩みを抱える私たちが、あなたからのご連絡をお待ちしております。

興味・関心を後押ししよう

今回は、『【脳医学者監修】好奇心を広げて満たすと、子どもは賢く育つ!』という記事をご紹介します。

発達にでこぼこがある子は興味・関心のあるものに対して猪突猛進です。その方向にだけ真っ直ぐに突き進んでいきます。

保護者としては他のことにも目を向けて欲しい、色んなことを学んで欲しいという思いから、本人の興味・関心のあるものに対して制限をかけてしまいがち。

もちろん、生きて行く上で最低限の知識と教養は必要だと思いますが、本人の興味・関心があるものと同じくらいの熱量で他のこともやれというのはなかなか難しい話でもあります。

発達にでこぼこのある子は、興味・関心のないことにはとことん無関心だからです。極端。

では、他のことにも目を向けさせるのは諦めるしかないのかというと、そうでもありません。

どんな道でもそうですが、本人が猪突猛進している道は、色んな分野からの合流で成り立っているからです。

発達にでこぼこのある子が好きになりがちな電車も、その本体は、駆動、システム、デザインと様々な分野からの合流で出来上がっています。

電車の写真や動画を撮るのが好きという場合でも、カメラの世界も奥が深く、気になり始めたら止められないという子の場合は大人顔負けの知識と技術を持っていたりします。

そんな子を持つ保護者がすべきことは、本人の行動を制限することではなく、もっともっと出来るよう一緒に考えてあげること、後押ししてあげることではないでしょうか。

学校の授業について行けないくらいのめり込んでいる、という場合は、そもそも日常生活すらままならない状態になっている場合が殆どです。

そんな場合はまず最初に、生活習慣を整えることは、本人がやりたいことを続けていくために必要なことであるという自覚を持たせてください。生活習慣が乱れる→体調を崩しやすくなる→いざという時に動けなくなる、という論法でいくと納得しやすいと思います。

これまでの間に、行きたいのに体調が悪くて行けなかった、途中で体調が悪くなって最後まで楽しめなかったという経験があれば、より本人の中での自覚に結びつきやすいでしょう。

そして、学校の授業には最低限で良いからついていけるようにしないと、社会に出てから困ったことになったり、騙されやすくなってお金を失ったりするという話もしてください。好きなことにかける予定のお金を奪われた、なんてことになったら困るのは本人です。

電車にのめり込んでいるのであれば、運転したいなら鉄道会社に就職しないといけない、そのためにはこれくらいの学力が必要という情報も提示します。他にも分からないことがあったら聞くようにと指示したら、あとは本人が自分自身で考えて行動するのを暖かい目で見守ってください。

発達にでこぼこのある子は頑張れないとよく言われますが、興味・関心のあることのためなら、ちょっとくらいなら頑張れたりもします。

子どもですから自分で考えて行動する中で失敗することもあるだろうとは思いますが、その”失敗する”という経験こそが本人の成長に不可欠なことでもあるのです。

もちろん、本人の安全や健康を害するような失敗は保護者が早めに止めるべきですし、他人に迷惑をかけたり犯罪に繋がるような失敗は未然に防がなければなりません。つまり、保護者は本人から目を離せません。

ずっと見ているのです。間違えている、明らかに失敗する、もっと良い方法があるのにというようなことを目の前で見せられて、口や手を出したくなる気持ちは痛いほどに分かりますが、そこをグッとこらえて、保護者は失敗した後のカバーの方法を懇切丁寧に教えてあげてください。どうすれば良かったのかを考えさせてください。

失敗しないことも大事ですが、どうやったら失敗するのかを知らなければ失敗を避けることは出来ませんし、失敗をカバーしたという経験が無ければ、失敗した瞬間からこの世の終わりのような感覚になってしまいかねません。

保護者自身の失敗の経験を伝えたり、ニュースになった事故や事件について本人にどうすれば良かったと思うか聞いてみたり、色々なことを語り合ってください。

そうやって”やってはいけないこと”、”やらない方がいいこと”だけを知識や経験として積み重ねて行けば、あとは本人が興味・関心のあることに向かって突き進む中で、副産物的に知識や教養が自然と身に付いていったりします。

学力は山のようなもので、コツコツと積み上げていける子は基礎となる土台から作っているのである程度しっかりとした山が出来ていきますが、興味・関心のあるものに猪突猛進する子はその分野だけの高い高い山が出来上がります。

でも、山というものは高ければ高いほど裾野は自然と広がるものです。その分野だけやっていても棒のようになってしまって倒れやすくなりますからね。倒れてしまわないよう本人が自分で裾野を広げるようになるのです。

そうなるまではただただ山を高く高く積み上げようとしますから、本人がこのままではヤバい、やりたいことが出来なくなると自覚するまで、保護者は本人が山から落ちてしまわないようサポートしてあげてください。

もし山から落ちて崩れてしまっても大丈夫。山は何度でも作れますし、積み上げたものが完全に無くなるわけでもありません。

今現在、本人に興味・関心のあるモノがない、という場合でも大丈夫。

本人が興味・関心を持てるモノは”楽しい”の中に隠れています。本人が面白そうと感じたり、楽しそうなモノを見つけてあげてください。

この辺りは本人が気付いていないこともあるので、本人をよく見ている保護者の方が気付きやすいかもしれません。

幸い、そんな子にうってつけのイベントが今月末に開催されます。

ぜひ参加して、”楽しい”を見つけてくださいね。お待ちしています。

本人の興味・関心のある分野についての情報が欲しい時は私たちにご相談ください。少しくらいならお役に立てるかもしれません。